2019年10月15日

【30周年】ここが変だよ! ラストバトル解答編その1。

さて資料も出そろいましたので、ラストバトルをぼちぼち語っていこうと思います。今までのはほんの序章です。あの程度でゆるされたと思うなよハッサン。食傷気味になると思うので、合間に別のネタも挟んでいく所存。

サイソニック学園と妖魔の概念の消去、リョウとアニスの同棲関係という設定に釣り合わない愛情描写の欠如、リョウとチャックの戦闘のサポートに留まったバルテクター、オリキャラのハッサンと火鷹が話を回すお粗末なシナリオと、ラストバトルが「ボーグマンの続編」として見ると欠陥だらけなのは今までの記事でお分かりいただけたかと思います。特にメカを中心に、続編でありながらTVシリーズの設定のほとんどをなかったことにしたのはどういうことなのか。

簡単です。根岸監督が優先したものが「三年後のメガロシティ」だからです。

ラストバトルの冒頭の仕上がりは素晴らしいです。無数に乱立するビル群、働く人々、夜の歓楽街、そして発展から取り残された、それでも逞しく生きる貧困層の人々が集うスラム街(旧グレイタウン?)。三年の間にメガロシティが歪な発展を遂げたことが伝わる描写と、合間に挟まれるオメガ誕生のカットは「この街でまた何かが起こる」という期待を高めずにいられない、魅力的な映像となっております。山ちゃんの歌もカッコいい。

lastbattle-72.jpg

lastbattle-73.jpg

lastbattle-74.jpg


が、この冒頭の空気感と、かつてこの街を守る為に戦った「(元)超音戦士」たちの描写が噛み合ってない。謎のボーグマン出現に戸惑う美姫の後、舞台がアメリカに移った途端、突然はじまったリョウとアニスの痴話喧嘩の説明不足が、それを物語っていると思います。

根岸監督が重要視したのは「メモリーが守った街のその後」であり、そこで「メモリーの遺志」を継いだリョウたちが再び何をし得るのか、だったと思うのです。
しかし、どういう訳か根岸監督はそれ以上に「街」そのものにこだわり、超音戦士だったリョウたちとその世界を、監督が設定したと思われる「三年後のメガロシティ」に見合うリアリティに落とし込んでしまった。そのリアリティは、AI搭載で喋るバイクも変形システムも奇抜なデザインのバギーも不要とし、バルテクターの機能も制限。さらには「妖魔」というオカルトな敵がいたことも伏せ、サイソニック学園も過去の遺物としてしまった。
このこだわりはヘブンズゲートの描写にも及んでおり、火鷹の案内でヘブンズゲート内を見て回るアニスのくだりでそれは分かると思います。磁力で快適に走るエアカーとか、近未来の雰囲気はいま見ても興味深いです。というか、案外リアルでまだ実現されてない気がする。

lastbattle-75.jpg


こんな風にメガロシティにはこだわったクセに、NASAの描写がいい加減なのが(ハッサンのあの蛮行を金属疲労で納得するなんてあり得ないでしょ)、ラストバトルのイラつくところです。

panhu-2.jpg

※インタビュー再掲。海上都市云々の部分にこだわりが窺えます。


本当に推論ですが、ラストバトルは元々「アフリカで教師をしているリョウとアニス」の心のすれ違い、そこに付け込みアニスに接近する火鷹、という恋愛要素中心で途中まで制作が進行。しかしシナリオが没となり、二転三転した挙句、最初は影も形もなかったNASAスタートの(急造?)シナリオが決定稿となった。その過程で根岸監督はラブストーリーを諦め、「三年後のメガロシティ」、そしてメモリー(の遺志を受け継ぐアニス)に自分を認めさせるために狂気に走った火鷹の在り方に照準を絞ったのではないでしょうか。もしかしたら、根岸監督が自由にこだわれた要素がそこだけだったのかも知れません。
火鷹の信念はあくまで「サイボーグとは人類の進化の鍵」にあり、TVシリーズの設定がひっくり返されたのは、「火鷹を基準とした科学力」にリアリティを持たせたかったと推察。転送装置もラストバトル的にはロストテクノロジーにしちゃったみたいですし。

結局、根岸監督がラストバトルで何よりも誠実であろうとしたのはファンでもリョウたちでもなく、監督の中の“メモリー・ジーン”だったのではないかと思うのです。火鷹の野望に浸蝕されようとしていたメガロシティが、ボーグマンというメモリーの代行者たちによって(街の人々の誰も気づかない間に)再び救われる物語を描き出したかったのでしょう。
しかし、「メモリーのいないボーグマンは丹下段平のいないあしたのジョーみたいなもの」と云い切るほどにメモリーにこだわった割に、随所にメモリーの存在を感じるような作品だったかというとそうでもない。まだラバレの方が「メモリーのいないメガロシティ」の空虚感、そこで彷徨うリョウたちを表現できていたんじゃないでしょうか。
監督がメモリーに捕らわれたせいで、リョウたち「ボーグマン」がどう3年の月日を過ごし、どう生きようとしたかが不明瞭となってしまい、肝心のメモリーの存在すらもどこかぼやけている。そこを鮮明に描き出せなかったのもラストバトルの欠点だと思います。

というか、インタビュー読み返すと、ラストバトルは監督の引き出しから無理やり要素を引っ張り出して作った続編で、本当は監督の中でボーグマンはFORVERで終わっていたと思わざるを得ません。しかし、根岸監督がここで降りていたら間違いなく園田氏が乗り出していたと思われるので、監督が続投したことでボーグマンは守られたと思っていいでしょう。そこは感謝すべきと思ってます。
そこまで云うかと思われそうですが、ではクロノスの大逆襲を踏み台にしたレイナ剣狼伝説以上の惨劇を見たかったと?

なぜ途中まで制作が進んでいたアフリカスタートの物語では駄目だったのか、なぜリョウとアニスの関係は中途半端なことになったのか。次回はそこに触れようと思います。

lastbattle-76.jpg

関係ないですけど、ラッコのトレイシーちゃんは何をしたんでしょうかね。
美姫も気になってるんじゃないですかね
posted by はらよしかず at 19:00| Comment(3) | ボーグマン