お盆前までクソ忙しくなりそうで、予定していたネタは先送りにして16話感想をさくっとやろうかなーと思ってたんですが、ついったで非常に興味深いTLを拝見したので、それを肴に雑談します。ちなみに今回の記事は画像がなくて寂しかったので、フォルダ探したら発見した拾い物です。つよい(視覚的に)。
子供向け子供騙しに関しては、コロコロコミック編集部の意見がすごくわかりやすいです。 pic.twitter.com/lh9cPSJMVg
— Nyarla (@fulltup) July 22, 2020
この「子供向けとは、子供騙しとは何ぞや」が素晴らしく簡潔に語られた(しかもコロコロコミック編集部という説得力)文章で、ボーグマンがなぜ子供に受けなかった(玩具が売れなかった)のかを考えさせられたのでした。この辺は同時期のサムライトルーパーも同じ問題を抱えていたと思います。
「これは絶対に子供だってかっこいいと思うはず! でもちょっと分かりにくい(難しい)かもだから、分かりやすくしよう!」
正直、ボーグマンスタッフ、特に園田氏はこういう考えを持ってなかったんじゃないかと思えるのです。語弊はありますが、「夏目想太郎」前提の設定の段階では、園田氏の中に志はあったと思うんですよ。それが根岸監督にひっくり返され、設定の仕切り直しを行わずにそのまま放置してしまった。1話で「1999年の時点でなぜメガロシティを制圧できなかったのか」という疑問をメッシュが「いずれ分かる」としつつ、結局謎のままで終わったのは、初期の構想にあったラスボス「魔王ビシュヌー」を何処かで出す意図があり、夏目想太郎で構想していたプロットを諦めてなかったのではないでしょうか。
ボーグマンのよく分からないところは、園田氏が構築した初期の世界観の代案が出た様子が見えず、しかしビシュヌーなど、初期案から再利用という考えも見えない。園田氏の初期の世界観への固執と、それを没案として拒み続けた根岸監督という「平行線の図」しか見えてこないんですよね。平行線のまま後半に入り、打ち切りもちらついたことでどう物語をまとめるか。そこで根岸監督が構想したプロットがPに気に入られて、園田氏が入り込む余地がなくなったことで物語が「根岸案」で集束していった。妖魔サイドの掘り下げが中途半端に終わったり、27話までマリモ先生が忘れられていた(放置されていた?)のも、その辺が関係していると思います。マリモ先生はまたピンで採り上げたいので詳しくはその時に。
夏目想太郎前提のアイディアをリサイクルしたと思しきライジンオーの完成度の高さから、園田氏は「子供騙し」のつもりはなかったと思います。ただ、園田氏の「おじさんが子供に伝えたいカッコいい」は夏目想太郎でないとできないもので、響リョウで進んだボーグマンの物語でそれらを伝えることを諦め、アニスへの思い入れが加速したことで、子供からアニス萌えの男性ファンに対象を変更したんじゃないかと思えます。アニスはレイナの流れを汲むヒロインで、レイナ以上の金脈として申し分なかったですしね。嫌な云い方ですけど、文芸で食べていく立場の方として間違ってなかったと思いますよ。ただ、やり方は拙かった。本当に糞拙かった(二回)。
「子供騙し」と云われても仕方なかったのはスポンサー陣じゃないでしょうか。ジリオン銃がヒットしなかったから在庫抱えてボーグマンに流用という事態になった訳で、そもそもジリオンシューティングもちょい年齢高めの、アニオタの萌芽が見える層には受けたようですが、メインターゲットの小中学生にホワイトナッツなりきりでキャッキャしてもらうには知名度と普及が致命的に足りなかったンじゃないですかね。自分だけでなくお友達にも買ってもらわんと一緒に遊べないんだし。
まあジリオン銃に限らず、セガの玩具って「おじさんにはよくわかんないけどキミたちこういうの好きだよね?」という志の低さを感じるんですが気のせいでしょうか。そういうセガだから、自社のクソマイナーなハードでTVアニメのゲーム出しちゃったのかしらね。いや後年のセガサターンとドリキャスは愛してましたよ? 引っ越しで(まだ状態の良かった)サターンを手放したのを今でも後悔してますよ?
根岸監督に関しては、子供向けとか子供騙し以前に、当時は子供向けコンテンツのノウハウがなかったんでしょう。ついったで頻繁に「玩具アニメ」の重要性について触れられるのは、ボーグマンで反省点やら何やら負の経験を相当されたからじゃないかと邪推してます。そこから勉強して試行錯誤されていったんじゃないかと。でもラムネもテッカマンブレードもウェブダイバーもパっとしなかった印象しかないですスイマセン。
以上のことに思いを巡らせたと同時に、サムライトルーパーもメインターゲットだったはずの子供をどう思っていたのかよく分からない、ボーグマンと似たもの同士な作品だったかも知れないと思いました。
るーぱーの玩具事情はウィキペディアで知れる限りの情報しか得てないんですが、タカラサイドもアニメスタッフも前述のような「坊主、ヨロイギアはカッコいいだろう!?」という情熱があったのか、めっちゃ疑問です。ぶっちゃけ、星矢っぽい企画で一発当てられたらラッキーぐらいの志だったのだろうかと。
ちょっと前についったで「サムライトルーパーは面白くなかった」というTLがちょろっと流れてきた時にも呟いたんですが、19話までは正直、アニメファンならいざ知らず、子供は途中でチャンネル変えるだろコレなシナリオや演出面でのメリハリのなさが気になったし、仲間が集結しちゃ即分散されていたので、これでは当時のお子様はごっこ遊びもできなかったでしょうと。
ただ、つまらなくはないし続きは気になる。実際二部から各キャラが立ちはじめテンポがぐっと良くなり面白さが増したのは事実で、個人的にはちょい似た体感を味わったボトムズと同じカテゴリの作品です。そのボトムズもキリコの行く末が気になったから見れたように、るーぱーも(腐女子人気は横に置いた上で)真田君を見守る気にならないと、ちょっときつい作品じゃないかと。
まあ池田監督はどうも偏屈な方だったようですしそこに高橋良輔御大も加わっていたことを考えると、子供向け云々以前に察してあげなさいな現場だったんでしょう。スタッフが入れ替わった20話以降、明らかに女性ファンを意識しつつ、外連味ありの分かりやすい内容に変えたのは大正解だと思いますよ。玩具は輝皇帝でワンチャン狙ってやっぱり駄目だったと二次裏で読みかじった記憶。
ボーグマンもるーぱーも子供に振り向いてもらえなかったことを考えると、そういう意味では1988年は、作品も玩具もヒットしたワタルのひとり勝ちだったんじゃないでしょうか。あの当時の芦田氏の貢献度、ワタルで繋がった玩具ロボットアニメの復権を思い返すと、やっぱり芦田氏は偉大なクリエイターだったと畏敬の念を抱かずにいられません。OUTで下ネタ連呼してたおぢさんというだけじゃなかったんだね!ヽ(´ー`)ノ
またしばらく潜ります。体調がもうちょっと回復したらいろいろやりたいことはあるんですが、夏バテが待っている悪寒(;´Д`)