ビデオベストセレクション特典。このリョウのポスターはアニス以上に見かけない(たまに外人出品者がボッタ価格で出してたかも知れませんが、英文の時点で目がスルーするので)シロモノだったんですが先日ヤフオクで発見。リョウは時々プレ値になることがあるので警戒してましたが、あっさり落札できました。カレンダー部分に痛みはあるものの、メインビジュアル部分は問題なく、経年劣化もほとんどありませんでした。
大きいことはやはり良いことで、画集より迫力があって、細かい描き込みや塗りを堪能できました。アクリルガッシュってすごい画材だったんですねえ。アナログ塗り死ぬほど苦手だったので、当時から菊池氏の塗りの素晴らしさに溜息ついてました。アニスブームに振り回されることなく、リョウのヒーロー性(とバルテクター)にこだわり続けたことも、このイラストから窺えます。根底にはジリオンのJJの存在感への対抗心もあったのかしら。現場に関われなかった菊池氏が、ジリオンとの差別化及び異なる可能性を、版権イラストを通じて模索していたのかと思うとちょっとやるせないですね。結果論として、
サイズ大き目で
13話は傑作ですね。後で改めてツイートしますが、絵コンテの剣地尚が湯山邦彦さんのペンネームであることは、ご本人から明かしてよいと言っていただいております。
— 小黒祐一郎・「機動戦艦ナデシコ画集」10月末発売 (@animesama) September 30, 2021
ツイッターより。會川氏とのやりとりですが、ボーグマンの絵コンテで参加されていた剣地尚氏が湯山邦彦氏だったことが判明して驚いた次第。確認したら担当回は25-26話と32話でした。根岸監督がインタビューで、後半で実力のあるスタッフを確保できるようになったと語られていたので、その流れで湯山氏のスケジュールを押さえることができたんでしょう。
25-26話全編に渡って
このダストジード、ノリノリである
このダストジード、ノリノリである
しかし、どの回も湯山氏と分かって見てみたら面白い…とならない微妙回という罠。特に25-26話は怒涛の終盤のプロローグになるはずなのに、いろんな意味で「弱い」エピソードになっちゃってるんですよ。たぶん園田氏と根岸監督の平行線が極まった結果だと思うんですけど。園田氏はここいらで初期構想の「エスパーサイボーグ」的なオカルト路線に引き戻したかった、もしくは作品の主導権を手放す代わりに「アニス=第二のレイナ」がしやすいフォーマットを作ろうとしていた(私的にこっちの可能性の方が高い気が)のに対して、根岸監督は既に後半の構想を固めていてスタッフやPへの根回しも進めていた。そういった過渡期にあったせいで、面白い面白くない以前の、無難な形でしかまとめられなかった印象を受けます。
というか、ついったやトークショーでのファンとの受け答えを見る限り、園田氏はアイディアが二転三転して、何がしたいのかきちんと周囲に伝えられない、そういう気性の持ち主だったんじゃないかと思えます。知る限りでブレなかったのはアニス関連(歌手志望&リョウとはくっつかない)だけなんですよね。
32話の冒頭、監視カメラ越しに視線を交わし合う(?)メモリーとダストジードの構図は独特で面白いです。ただ、最後のリョウVSダストジード再戦の相撲みたいな押し合いはちょっとイケてなかった。湯山氏がボーグマンという作品を把握できないまま作業しちゃったのかしら。たらればですけど、湯山氏がボーグマンにメインで関わっていたら、園田氏を制御できたんじゃないかなあ。後年のアニポケではちゃんと仕事してたんだし。
巨神へ…ゴーレム妖魔とか、面白いシチュはあるのにどうして…
25-26話の微妙さは、岸間氏がバトル重視のエピが上手くなかったのも大きいんですよね。たぶんですけど、構成的にも本当は園田氏が手掛ける予定でまったく違う話をお考えになってたんじゃないかと思えますし。本編の妖魔サイドの動向をまとめてみたら、構成で何がしたかったのか、できなかったかが浮かんでくると思うので、そのうちやってみたいです。溜まってる宿題が片付いたらですが(遠い目)。
22話でフェルミナが詰んで妖魔三神官は全員リタイア、そして24話で「中ボス」ダストジードが本格的に動き始めた後の構成案が、園田氏と根岸監督で全然違ったんでしょう。ダストジードがどういう策を弄してくるのか、そもそもダストジードがどういう存在なのか(ジリオンのリックスのようにリョウに執着しているのか、メッシュの野望実現の為にすべてを捧げた部下なのか)、それまで保留してきた要素の整理をしようとしたら、「じゃあ妖魔ってなんなのさ?」から見直さないといけないことになり、結局2話分使っても不完全燃焼になったという気がします。根岸監督と園田氏では「妖魔」の解釈も違ってた(根岸監督はSF寄りのクリーチャー、園田氏は人知の及ばない謎の意識体)ので、二者の間に挟まれたであろう岸間氏を責めるのは気の毒なハナシではあります。
ただ、「妖魔界に引きずり込まれたリョウたちを助けるべく、子供たちと共に奮闘するメモリー」を見ている分には面白いので、「ボーグマンはメモリーの物語」としていた根岸監督の意向寄りに流れを持って行くことに意義があったのかも知れません。園田氏がもし根岸監督の介入を退けていたら、物語をどう盛り上げて〆る気でいたのか、それはそれで気になりますが、アニスが不自然に持ち上げられるだけの毒にも薬にもならない話になったんじゃないですかねえ。レイナという先例のせいで怖気しかしない。
話がそれましたが、26話の這いずって逃げるリョウが当時からどうにも嫌だったんですが(チャックとアニスを逃がすための囮になってるのでなりふり構っていられない、という姿を見せたかった意図は分かるんですが、「子供向けアニメの主人公」として見ると単純にみっともなくて受け入れられないんですよ)「外部スタッフ」としての湯山氏の解釈と思うと腑に落ちました。他の演出陣だと、リョウをああいう風に描かなかったと思うんですよ。
ファントムスワットの見せ方は面白いです。特に美姫とメモリーが歩み寄りを見せる描写はとても良い。美姫はフリッツ博士の遺志を継ぐ存在として、もっとメモリーと絡んで欲しかったですね。そこは24話の後で、メモリーに心身共にケアしてもらったりしてたんじゃないかという妄想で補っておく。
メモリーの描写には力が入ってます
モーリーからお守りをもらって、お礼を云うサンダーが素敵。ビバ山寺
やっぱり長くなりそうなので一度ここで切ります。次回は小ネタの続きか、チャック誕の予定。