13話は会川氏をはじめ関わったスタッフが多数コメントを残されており、それらを含めて語りたいと思っているせいで延々と後回しにしております。今回のコラムも、その際に出そうと思って手を付けなかったのですが、13話そのものではなく13話に至るまでのスタッフの“迷走”が窺える部分の考察ということで。
ぶっちゃけ、ここ最近園田氏のやらかしばかりを採り上げていたせいで、会川氏のこの文章に癒しすら覚えました。如何に作品とまともに向き合って語るスタッフがいなかったのかというハナシですけど。(一番脚本を手掛けていたはずの)岸間氏が裏方に徹したのがもったいない。会川氏はもしかしたら、このままではボーグマンは駄作に終わってしまうという危機感があり、だから早く13話のような物語の核心に触れるエピをやりましょう、と主張しておられたのかと勘繰ってしまう内容ですよね。そういう危機感を抱かせる現場だったのかと。
会川氏は前半でリョウたちの過去もダストジードとメモリーの因縁もさほど重要ではない、と語られてますが、実際は16話等、キャラの肉付けに必要な要素としてこだわってるんですよね。主題に関わる要素ではないということでしょう。ただ、メモリーとメッシュの因縁は、「メモリーの視点」ありきで作品を構築していたはずの根岸監督的には重要だったんじゃないかしら。
実際会川氏は他のスタッフほどにはメモリーを重視しておらず、23話でやっとメモリーを掘り下げ始めた印象。16話なんて回想にしか出てこなかったぐらいし。先ずはボーグマン3人からという意図があったのかも知れませんが。
「自分たちの敷いた設定に目を奪われていた」は、正に1クール目の最大に駄目だった部分でしょう。とはいえ、岸間脚本回は尻上がりに良くなっていったと思うんですけどね。12話とか。暗に園田氏のことを云ってるんじゃないかと思えるんですが、たぶん間違ってないと思います。以降も園田氏は「自分が(独断で)敷いた設定」に固執していきますし。特にアニス関連。
LD-BOXのインタビューでも触れておられましたが、当時会川氏は若さも手伝って、相当に園田氏に反発したのかも知れず。根岸監督と園田氏が「ボーグマンの世界観のビジョン」をなかなか明確にしないことを歯がゆく思っておられたんでしょうか。いや勝手な想像ですけど。
というか、園田氏は逆に当初から各キャラクター(特にボーグマン3人)にこだわり、世界観の構築にはあまり目を向けなかった気がするんですが。だから妖魔の設定もゆるゆるガバガバになったんじゃないのん。設定は夏目想太郎前提の旧設定を域を出てないし風呂敷も広げたまま放置してるしでどうしていくつもりなんですかコレ、ということだったのかしらね。
しかしアレですな、会川氏のこの文章からすると、相当にシリーズ構成にも何かしら進言したのではと思えるんですが穿ちすぎかしら。早い時期から13話のプロット(リョウたちの過去とダストジードの掘り下げ))を押していたそうですし。話が動くここぞというエピは自分が手掛けたい、という思いがあったのでしょうか。
最後のカタストロフィ云々は27話のことなのか、それとも打ち切り決定前に構想していたプロットで、結局変更もしくはボツになってしまったのか。28話が園田氏のアニスへの下心ありきなエピでなければ、27話はもっと存在感のある話になったと思うんですけどね。ラストのあの絶望交じりの盛り上がりは何だったのかと思う位には、28話はいろいろ台無しにしちゃってるし。
会川氏が想定していた「これから」が、結局やっぱり消化不良となってしまったのが非常に残念に思える文章です。13話レベルの高クオリティの熱い話をシナリオ面でも作画・演出面でもできなかった(さすがに最終回は別格ですが)。ただ、会川氏が園田氏がその後もおろそかにし続けた要素を重視するシナリオを出していったことは、ボーグマンにとって救いになったと思います。岸間氏も23話とか、神が降りてきたのかと思う良エピソード出すことがありましたしねえ。会川氏もまた根岸監督と同様、園田氏と相性の悪いスタッフだったのかも知れません。
根岸監督の要請で参加したスタッフのみで制作されていたら…と考えなくもありませんが、そうなると今在るボーグマンがまったくの別物になってそうだったのが痛し痒し。そういう意味で、園田氏は本当に厄介な御仁です。
こっからちょっと追記っぽい雑談ですが、園田脚本のレベルが低いと云ってる訳ではないです。ただ、会川氏の13話、岸間氏の22話のような突出した脚本回がなく、可もなく不可もなくで終始しちゃった感。世間的に園田脚本の決定版は28話だと思うんですが、今までさんざん批判してきた部分から、個人的に良回と云うのは抵抗があります。池田作監と安東演出によるコーティングで良回に見えるだけで、脚本家様は「アニスをリョウとくっつけるなんてやだやだ! レイナみたいにアニスをぼっくんのプロデュースで売り出すんだい!」と主張しまくってみっともない、とつい思っちゃうので。
それとついったでちろっと呟いてる最中にふと考えたことなんですが、ボーグマンは本来4クールの予定が打ち切りで35話となった訳で、もし4クールあったとしたらどうなっていたのか。園田氏による後半の構想のアイディアが「エスパーサイボーグ」「リョウとチャックの対立」など突飛すぎるものが多かったこと、会川氏の途中離脱は避けられなかったとしたら、相当にグダグダな“駄作”になっていた可能性は高いんじゃないでしょうか。
しかし4クールあれば、マシンロボ等に取られていた葦プロの実力派スタッフがもっと参加できていたかも知れないし、メモリー&ダストジードの掘り下げ、リョウとアニスの関係の進展は可能だったんじゃないかとも思ったり。りょあにはいくら園田氏がゴネても、根岸監督がすっぱり舵を切ったらそっちに行ったはずですし。少なくとも岸間氏はやる気でいらっしゃったんだし。
ダストジードは打ち切りがなかったら「戦いの最中にレミニスの記憶を取り戻して苦悩する」という別の未来、別のキャラクターになった可能性が高いので、それはそれで見てみたかったです。悪の華のままで散った彼も良いんですけどね。
それもですけど、妖魔サイドの事情、メッシュの思惑はちゃんとやる予定だったんですかね。メモリーはもっと掘り下げが必要な「影の主人公」だったはずで、そのメモリーにとって「宿敵」メッシュはどういう存在で、メッシュはメモリーをどう思っていたのか。そこがもっと明確であれば、ボーグマンたちの「誰が為に戦う」が引き立ったと思うんですが、まあ「子供向けにそんな大人のドラマ要りません」と云われたらそうかも知れず。
それこれ考えると、やっぱり打ち切りの35話で収まったのは作品にとって良かったのかも知れません。話数あったところで、園田氏と根岸監督の「ボーグマン」に対する認識のズレのすり合わせはなされなかったと思いますし、菊池氏もいい加減本編に参加させろ最終回ぐらいやらせろと突き回してきたかも知れないですし。年老いたオタクになって再燃してあれこれ調べたから分かりましたけど、とても根岸監督が現場で制御できたとは思えない、いろいろアカン御仁でしたよね…(超小声)。