9/1はラストバトル30周年なので、さすがに何もしない訳にいかないことに気が付いたのは先日。そしてそこから三週間ちょい後にリョウ誕という事実にマジで白目剥いているある日の猛暑ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。まあぼちぼち準備進めます…ます…(震え声)。
そんなこともあって当面は更新する気はなかったのですが、こないだのマツコの深夜番組でバブル期の日本の狂騒を題材に語っていたのを見た際に、ふと考えたことがあったのでだらーっと駄文。そしてやっぱり園田脚本の考察になっちゃうのでした。すみません。
ボーグマンは正にバブル真っ盛りの時期に生まれた作品ですが、それが作品にどれだけ影響を及ぼしていたのか。当時でもアニメ制作現場は決して恵まれたものではなかったのは、「いまだから語れる80年代アニメ秘話」からも窺えました。正直AIC上層部は現場スタッフを同じ人間だと思っていなかったのではと疑うレベルに(特に平野監督を)酷使してましたし。
しかし若手アニメーターが才能を花開かせられるチャンスがそこかしこに転がっていて、菊池氏や羽原氏、オーガンの大張正己氏もその土壌なくして頭角を現すことはなかったでしょう。
で、ボーグマンですが、本編は案外そういったリアルの世相は取り込まれておらず、これは根岸監督が(SFアニメ作品として)普遍的な要素を重視し、時事ネタを入れることを好まなかったからではないか、と思っています。“前番組”であるジリオンもそこは配慮されていたのではないでしょうか。リョウたちの服装やガジェットも、今見てもそんなに古臭くないのはスタッフのセンスの賜物ではないかと。ラストバトルも、とにかく要素を削ってシンプルな世界観にしたことがプラスに働いたのか、そんなに見ててキツい部分はないんですよね。アニスのルージュの伝言が当時でも失笑レベルなこと以外は。
しかし、ラバレは当時の「トレンディドラマ」を意識してしまったのか、リョウとアニスの部屋のデザインや小物、アニスのコスチュームはかなりバブル臭がするものとなっており、この辺はスタッフの、恋愛ものに関するセンスのなさが露呈されてしまったと云わざるを得ません。ぶっちゃけ、アニスのコスは肩パット入ってそうなあのジャケットとか色指定がどうにも好きになれない。リョウのコスは良かったのにねえ。
個人的には好きな部分も多い(特にBパートの演出)ラバレですが、考察を深めるごとに脚本の(リリースされた時点で)古臭さ、どうしようもなさが浮き上がってきて辛いところ。この辺はまた後日に。
ここで思ったのが、ボーグマンや剣狼伝説シリーズにおける園田氏の作品に対するアプローチで、園田氏は元々舞台を中心に活動されており、80年代後半もアニメ仕事の傍ら劇団の主宰を務めるなど、アニメよりも演劇方面で作劇のノウハウを修得してこられたようなんですよね。
もしかしたら、園田氏は舞台の仕事や人間関係を通じて、「バブル」を体感する機会が普通のアニメ関係者よりも多かったのではないか。雑誌媒体で残した数多くのビッグマウスも「バブルの投影」だとしたら、割と納得いくかも。当時はおそらく舞台の仕事が絶好調だったんでしょう。なんせ「ソが付く分野田秀樹より偉い」とぬーたいぷで豪語なさってたぐらいですし。おすし。
何より、キャラクターや世界観の扱い方の「軽さ」、アニスに思い入れを深めると同時に、他のキャラクター(特にリョウ)や作品そのものをないがしろにしたり、剣狼でもレイナを愛でるあまりに、本来の主人公であるロム・ストールが手にした“財産”をすべてレイナに捧げさせて退場させるなど、これら重みのない所業とファンの思い入れの深さが合致しなかった。当時のアニメファンはバブル景気どころか宮崎事件で肩の狭い思いをしていた訳で、逆にバブルを内包していた園田氏は根本でアニメファンとズレていたのではないでしょうか。
レイナにせよアニスにせよ、園田氏は「バブル景気」のノリでその人気に身を投じたのに対し、根岸監督はアニスの人気を冷静に受け止め、作品がアニスに振り回されないよう配慮し、「園田ヒロイン」としてのアニスをきっぱり否定した。しかしそういったブレーキとなるスタッフ不在で独り歩きをはじめたレイナは、剣狼伝説でクロノスの大逆襲を崩壊させる存在となった。それはもちろんレイナの罪では全くなく、「レイナ人気」というお立ち台で踊り狂ったスタッフの責任で、その後レイナというコンテンツが尻すぼみになったのも致し方なし。今にして思えば、レイナ人気の復活とアニスの奪還という期待を込めた企画だったとおぼしきライトニングトラップは、園田氏の中のバブルの残滓だったんじゃないでしょうか。
ちょっと横道にそれますが、剣狼シリーズリリース当時のアニメVをチェックすると、3関係の記事では羽原氏が出ずっぱりで園田氏はコメントを残しておらず、羽原氏を盾に隠れてファンの反応を見てたんじゃないかとモヤる。受けたら表に出て来てきて語る気マンマンだったんじゃないか疑惑。ロム死亡もリリース後に情報を解禁するなど、剣狼3はまったくもって悪質な作品としか云いようがありません。分かってたらソフト買わなかったファンも多くいたんじゃないでしょうか。まあ園田氏以上の戦犯はPだと思いますけど。
バブルに対する偏見が混じってるかも知れず、ピント外れなことを云ってるかも知れませんが、ずっと違和感を覚えていた園田脚本の「軽さ」は当時の世相の表れでもあったのではないかと、マツコのトークを聞いてふと思ったのでありました。園田氏の性分もさることながら、(生き死にを含めた)キャラクターの在り方の軽さとか、作品やヒロインを好きにできる権限は自分にあると云わんばかりの傲慢さがコメントから見え隠れしていた理由が、それでしっくりいく気がしました。
おまけ。
かなり前にラフだけ描いて忘れていたネタを仕上げました。ライトニングトラップのリョウ君は羽原監督的には「子供時代のロム」だったそうですが、本編に関しては、園田氏はロムよりリョウを意識してキャラメイクしていたように思えるんですよね。小説版ではリョウ君は妹と一緒に登場したりとロム兄さんっぽいですが。
クロノスのレイナは、接触した(味方サイドの)男性は自分に好意を寄せて当たり前と素で思ってそうな気がするのはわたしだけでしょうか。あのものすごく危ういキャラメイク(お嬢様・わがまま・同性に当たりがキツイ・足手まとい)を可愛いは正義で成功させたのは、水谷さんの演技の賜物だと思います。
実は不快感が少ないという点で、ライトニングトラップは剣狼よりマシという考え方です。たとえ脚本が作品の体を成していないレベルであっても、ライカのぱんちらで誤魔化されてあげられます(えー)。
2019年08月16日
猛残暑お見舞い申し上げ雑談。
posted by はらよしかず at 19:00| その他アニメ