時は2005年。
人類は地球人以外の生命体を発見するために、太陽系惑星内でその可能性が最も高い火星に、有人探査機を送り込むプロジェクト「ワレワレハコドクデハナイ」を立ち上げた。
そのプロジェクトで、長年密かに研究されてきた“サイボーグ・アストロノーツ”の起用が決まっていた。
“サイボーグ・アストロノーツ”、それは火星の探索及び開発目的の性能を組み込まれた乗組員。9人の人間がその施術を受けた。
1人目は脳をスーパーコンピュータと連動され、その副産物で超能力に目覚めた赤子。
2人目は常人の5倍のジャンプ力を持つニューヨークの不良少年。
3人目は壁の向こうを見る視力と、10キロ先の物音をキャッチできる聴覚を持つフランス人の少女。
4人目は体の2/3を機械仕掛けにされたドイツのトラック運転手。
5人目は起重機の性能を持つアメリカ先住民の末裔。
6人目は岩をも溶かす熱線を放射できる中国の料理人。
7人目は擬態動物をベースにした、細胞配列の変化による変身を可能にしたイギリスの舞台俳優。
8人目は500メートルの深海まで潜れるアフリカの青年。
9人目は常人の9倍のスピードで動くことができるハーフの孤児。
しかし、「火星に人類の未来を見出す」は大義名分であり、真の目的は宇宙空間での戦闘を可能とする「人間兵器」の開発、黒幕は謎の組織「影の存在(シャドウ)」。9人は選りすぐりのアストロノーツではなく、組織が拉致した一般人であり、実験動物だった。
シャドウの目論見を知ったひとりの科学者は、9人を誘い反乱を起こし、プロジェクトの一部は瓦解。逃亡者となった9人はシャドウと戦い続け、やがて世界中に散り散りとなった。
2010年。ある不穏な未来を予見した赤子は、過去に向けてテレパシーを送り始める。自分たちの戦いを記録できる者に向けて。テレパシーは53年前にまで遡り、ある漫画家がひらめいたアイディアとして、それを受信する。漫画という媒体で彼らの戦いの日々が(漫画ならではの誇張が入った形で)「記録」されていく。
漫画家のライフワークとなったその作品のタイトルは「サイボーグ009」
さらに一年後。老境に差し掛かった漫画家、そして「記録者」の石ノ森章太郎の前に、自身の作品の登場人物だったはずの科学者・ギルモア博士が現れる……
以上は「文藝別冊 総特集石ノ森章太郎 増補新版」に収録された「サイボーグ009完結編構想ノート」のプロローグ部分の構想を、時系列etcを整理して書き出してみました。おこがましい行為ですが、こうしないと伝えきれないので。
これでも(各人の009の知識量によって差はあると思うのですが)「?」となると思われますが、ひらったく云うと自分たちが読んできた「サイボーグ009」は、超能力者の赤子、つまりイワンのテレパシーを受信した石ノ森先生が、それをベースに自身のアイディアも盛り込んで描いた作品。9人は2005年に「実在」するサイボーグたちで、彼らも「サイボーグ009」を読んでいたというメタな設定なのです。これによって、サイボーグ戦士たちを「21世紀設定」に置き換え、歴史の一部と化した時代背景や設定の矛盾をクリアした上で、「神々」との最終決戦に挑ませる意図があったと思われます。
例えば「フランソワーズ・アルヌール」は当時の石ノ森先生がイワンのテレパシーで知ったサイボーグの紅一点に、ファンだった女優の名前をそのまま付けたもので、彼女には本名が別にあるのです(全員もまた然り。グレート・ブリテンも変えたかったと思いますし)。有名なハインリヒの過去「ベルリンの壁の悲劇」も、石ノ森先生が受信したテレパシーを咀嚼し当時の世界情勢を反映して描いたものであり、実際は異なる状況でハインリヒは「ヒルダの死」を体験してるんです。
なぜ本名で呼び合わないのかというと、9人は漫画で付けられた名前を気に入り、それを愛称としたからです。でもそれぞれの個人的な知り合いからもそう呼ばれてるよね? という疑問に対しては、いんだよ細けえことは(byザ・松田)としか云えません。
実在する彼らの能力は「惑星の開発」が前提なので、張々湖が口から出すのは火ではなく熱線。ジェットは驚異的なジャンプ力に留まり、飛行能力はありません。
これらの事柄から、イワンのテレパシーはイメージを伝える程度で具体性に欠けており、そこを石ノ森先生が補完し、漫画の形で出力したという設定だった模様。
で、構想ノートの「断章」には「9人はシャドウ(=ブラックゴースト?)に拉致されてサイボーグ手術を受けさせられた」という記述がなかったので、わたくし読んだ時には、9人は一般公募のアストロノーツとして選ばれたのかと思ったンですよ。これってボーグマン計画じゃん! リョウたちと同じ境遇じゃん! とひっくり返ったんですよ。
そこを確認したくて、石ノ森プロによるコミック版と小野寺丈氏によるノベライズ版の両方の完結編を読んだら、前述の通り「拉致されて改造された」原典に近い流れに変更されていたのでした。発端となった「サイボーグ・アストロノーツ計画」の内容も少し変更されていたのですが、これがかなりボーグマンクラスタとして唸るものになっておりました。ここはe-bookのノベライズ版の試し読みで読める範囲なので(他の電子書籍サービスでも読めるかも?)、目を通してみるのも一興かと。
サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD’S WAR I first
サイボーグ009 完結編 conclusion GOD’S WAR 1巻(コミカライズ版)
(e-bookjapanに移動)
注目点を書き出しますと、
・構想ンート:人類以外の生命体を探すために火星を目指す→本編:とある大国が、太陽系惑星のいずれかを「第二の故郷」にするための開発計画を立ち上げた。
・開発計画の課題「人間が地球外惑星の過酷な環境に適応するには?」をクリアするべく、人間を科学技術で補強する「宇宙探査用改造人間(サイボーグ・アストロノーツ)」計画が発足。名称は「サイボーグ・アストロノーツ・プロジェクト(略してC・A・P)」。世界中から有能な科学者たちが集まり計画を進めていた
・この計画の「サイボーグ」は実際はアストロノーツではなく、成層圏で起こる戦争を想定した「成層圏戦争用兵士」。資金も国の援助ではなく、「死の商人」と呼ばれていた軍需産業だった
「実在した」9人のサイボーグ戦士たちのプロフィールの変更は非常に興味深いのですが、ここにまで触れていくと、いつになったらボーグマンの話題になるねんとなるので割愛。機会があれば(ここ以外で)感想を書くと思います。いや充分ぼやき…思いつくままXやら青空やらで書いてますけど。
ここまで書くとお察しですが、「完結編」でリニューアルされた009たちは、建前であっても「地球外惑星での活動を可能にする肉体に改造された宇宙飛行士」で、その計画は「ボーグマン計画」の上位互換と呼べるものだったのでした。完結編既読の方的には今更知ったのか案件ですが、完結編に関しては、009への思い入れ故に積極的に知ろうとしてなかったので…ぶっちゃけ、この記事の確認ために読んだとはいえ、やはり知りたくなかったと思ったこともゴニョゴニョ
そういえばボーグマン計画は国の立案なのか、メガロシティが「復興を越えた未来」を示すために血税つぎ込んだ(嫌な云い方はやめなさい)のか、ちょっと気になってきました。
OUT1989年3月号・ボーグマン特集より。ライターによるボーグマン計画のまとめ記事
ボーグマン廉価版ブルーレイBOXのブックレットのねぎし氏のインタビューによると、009の初期に「宇宙開発」とあったのでそれを意識したと語られていたのと、サイボーグの開発目的は宇宙用か戦闘用の二択しかなく、後者は(番組の制約として?)NGだったので「ボーグマン」は宇宙用のサイボーグになったとのこと。完結編がボーグマン計画に近いものになったのは、石ノ森先生が着想を得たというアメリカの科学雑誌「LIFE」の記事に原点回帰したからでしょう。
これに関して検索したら、なんと望月智充監督が言及していたブログ記事があったのでリンク貼っておきます。該当の記事の画像も掲載されております。
日本語あれこれ研究室:最初にサイボーグを描いた漫画家
水木しげる先生が石ノ森先生に先んじて、サイボーグを題材にした作品を発表していたとはびっくりしました。
ブックレットのねぎし氏インタビューによると、ボーグマン計画はメモリーとメッシュというふたりの天才科学者が主導権を握り鎬を削り合い(ライバルであって恋愛関係ではなかったとか)、火鷹は妖魔を知る前に計画から離脱。フリッツはセクションの違う(転送装置の開発メイン?)同僚と、科学者たちのコミュティでは様々な思惑が交錯していたと取れる設定が語られてましたが、それ以上は存在してないようです。まあ玩具アニメでしたしね…。その影でやはり「戦闘用」が開発されていたのですが、これに関しては「メモリーが詳細(ダストジードの正体等)を知っていたか否か」で、會川氏とねぎし氏の間で認識の食い違いが生じていたので、深追いは避けさせていただきます。
「サイボーグは地球外惑星と地球の架け橋となる」という一冊の科学雑誌の空想の中で、009とボーグマンはリンクしたということですね。009は建前とはいえ、「サイボーグ・アストロノーツ」計画に参加していた科学者たちは、あくまで「地球外惑星での活動」を目的に9人を改造していたので、従来の設定のリミテッド版となった彼らの性能は、ボーグマンとの互換性もあって面白いと思いました。口からシン・ゴジラみたいな熱線吐くリョウが見たいのはメモリーぐらいだと思いますけどヽ(´ー`)ノ
と、師走までここを放置しておきながら、何ごともなかったかのように更新したのでした。ひたすら精神的に疲弊してたのと、脳がシン・仮面ライダーの円盤の発売までの日めくりカレンダーと化していたので…。来年もプライベートがかなり不透明なので何とも云えませんが、今回みたいに書きたいことができたらふらっと出てきて更新します。
ちなみに009完結編の本編ですが、石ノ森先生のご子息と石ノ森プロのスタッフの苦闘が伝わる力作でしたが、はっきり云ってそれ以上ではありません。「石ノ森章太郎の呪縛」がそのまま反映されていて、いちいち察してあげないといけない作品でした。石ノ森先生の構想から必要な要素だけを拾い上げて、映画作品として昇華した「009 RE:CYBORG」を見れば充分です。DVDで見た当初はけっちょんけちょんにけなしてすまない…と思ったぐらいに、本家本元たる(?)完結編はまあうn…でした。似た状況で連載継続しているベルセルクを案じずにいられなくもなりました。
あと009ではあり得なかったぐらいにグロ描写のオンパレードなので、そういう意味でもお勧めはし辛いです。特に003がめちゃくちゃ酷い目に遭います。「島村ジョー」というヒーロー像の破壊に挑戦してたのはまあ評価でき…るかな…?