もうすぐ完走できそうなライジンオーを、ずっと採り上げ損ねているボーグマンの企画書(の一部)と併せて感想を書く所存。その前に中断していたラストバトル感想を少し。
ライジンオーは園田氏が「自分の中では続編」とコメントされていた通り、ボーグマンと切り離せない作品でした。ただし夏目想太郎設定が前提ですが。
劇場版パンフレットより根岸監督インタビュー
ファンプラブ会報。
おさらいで再掲しますけど、根岸監督にとってアニスは「003」ポジションのヒロインであり、ラストバトルはメモリーがいなくなった世界で「サイボーグとしての生き方を見つけられない」アニスに、火鷹との出会いでそれを見つけさせる物語であるとしています。
以下はここをご覧になって下さっている方で、まさか003(フランソワーズ・アルヌール)を知らないという向きもいないと思いますのでそれ前提で書きますが、003はブラックゴーストの工作員に偶然目を付けられ、拉致されてサイボーグ手術を施された悲運のヒロインです。そういう意味ではスペースブロックの惨劇で重傷を負い、延命のためにサイボーグとなったアニスも同様に「望まない体にされてしまった」悲運のヒロインと云えるでしょう。
003はアニメでも原作でも、「普通の人間に戻りたい」という切なる思いを度々見せます。人工の皮膚で守られた美貌も、仲間であり恋人でもある009の優しさも彼女を満たしてはくれない。サイボーグである限り、003は「誰がために」戦い続ける宿命を負っているのです。
ここまでは、アニスも同じと云えます。岸間氏のSSでは生徒の母親であり「生身の」未亡人・イザヤがリョウに思いを寄せていることを察して密かに胸を痛めたり、心臓部のパーツの劣化による体調不調に苦しむなど、内なる機械と共に生きていかねばならない苦悩を窺わせておりました。そういうものから(時には自身の体のパーツを使って)彼女を守るのがリョウの役目であることも。
で、本題。
火鷹に囚われ、彼が謎のボーグマン事件の首謀者だと知ったアニスと火鷹の問答、これが前述の根岸監督が語っていた「サイボーグとしてのアニスの生き方」が問われる重要な場面となるのですが、ここが最高にイケてない。主題に関わるのに、火鷹の主張含めて脚本が稚拙で、ラストバトルの大きな「欠陥」と云ってもいいかも知れません。他はともかくなぜこれで通してしまったのか不可解です。何でもっと慎重にセリフを考えなかったのか。
「お生憎様。この体の中に機械が詰まっていると思うとぞっとするわ! これ以上のサイボーグなんてもう沢山よ!」
人類の進化を早く見たいお! だからサイボーグでさくっと進めるお! アニスもサイボーグだから協力してくれるお? という火鷹の主張に対するアニスのこの返答、最悪すぎて再視聴した時に絶句しました。これ、確かに003が云うなら分かるんですよ。なぜなら彼女は「兵器」にさせられたのですから。
しかし、アニスがサイボーグになった理由は、メモリーが瀕死の彼女を救う最後の手段として、ボーグマンシステムを彼女に組み込んだからです。あくまで「延命」なんです。そしてアニスは回復し、リハビリを経てボーグマンチームに加わることを自分の意志で決めた。つまりこの台詞は(額面通りに捉えると)28話で語られた「過去」とリョウとチャックの在り方の否定、果てはメモリーに対する裏切りと云われても仕方ない問題発言なのです。
28話は、園田氏のアニスへの独りよがりな思い入れが目に付く回なのは確かですが、過去バナそのものは決して悪くなく、アニスというキャラの肉付けには成功していると思います。しかしこのアニスのセリフで、根岸監督はラストバトルを完成させる過程で28話の設定を切り捨て、監督の構想にあったアニスの過去を前提にした可能性はあるかも知れないと思いました。ぶっちゃけ、根岸監督のインタビュー関連は、本編に出てこなかった設定や台詞が混じってることがあり、どこまで本編でどこから没設定で留まったのか、把握せずに語ってらっしゃる節があるんですよね…。根岸監督にとって28話は園田氏がねじ込んだエピソードで、監督的には認めてなかったのかとも疑ってしまいます。
まあ、この辺は全部穿った見方で、実際は「火鷹の主張を否定」=「サイボーグシステムという“補助”を受け入れて人間として生きていく」という答えをアニスに気付かせる。アニスと火鷹の問答を長々と書いてもいられない。というかまとめきれない。だからアニスにさっさと結論を云わせるため、そして003の踏襲という意味合いを含めてアニスにああいうセリフを云わせただけで、深いことは考えてなかったんじゃないだろうか。「この体をくれた人(メモリー)はそんなことを望まない」という意味合いのことを云わせるだけで充分だったと思うんですけどねえ。岸間氏の仕事としてはあまりにも雑で、よっぽど脚本を詰める時間がなかったのかしら。
前述の岸間氏のSSにあるように、メモリーのサポートがなくなり平和になったことで、次第にサイボーグであることがアニスにとって重荷になっていったのであれば、それが窺える描写が欲しかったし、それ以前に脚本の改稿を重ねすぎて、テーマに沿ったストーリーを組むことが優先となりキャラクターを見失ったのではないでしょうか。ハッサンの舎弟扱いだった前半のリョウといい、根岸監督だけが納得できる(火鷹の在り方など)こだわりのせいで、素直に見れない「後日談」となっちゃってるんですよね。
あともう1回、火鷹&オメガのことに触れてラストバトル考察は一旦締めたいと思います。次回は準備が間に合えばライジンオー感想か、ちびちび書いているラバレ再考察の予定。