初っ端から謝罪です。ラバレの発売日を12/30と勘違いしてました27日でした。もう過ぎてました30周年。そんなド年末に発売してた訳がないのにorz
誰にでも思い違いはあるということで嗤って許していただきたい(何)。
さて本題。
前の記事でラバレはファンとスタッフの「お祭り」としましたが、このお祭りに乗れなかった唯一のメインスタッフが園田氏だったと断言します。そもそも、ラバレのスタッフに園田氏の名があったことは、当時から園田氏がりょあに否定派だったことを察していたわたしにとって、非常に違和感のあることでした。ですが当時は「お祭り」の勢いもあり、園田氏がやっとりょあにに向かい合う気になったんならそれで良し! で流してました。
が、年月も経ち再燃を経て更に冷静になって見直すと、村山&菊池両氏と同様、根岸監督に一矢報いるために参加しただけで、りょあにに対する愛着どころか、そもそもボーグマンに対するモチベ自体が低下してたんじゃないかと思えます。クロノスやボーグマンTVシリーズ当時の、あの御仁の雑誌媒体の露出ぶりを思うと、モチベがあったらアニメVの連載記事にちょっとでも参加していたはず。V-バージョンとFC会報のインタビューには参加されてましたが、内容にあまり触れようとしてない辺りでお察し。
それまで頑なに否定していた「リョウとアニスの恋愛関係」、夏目想太郎ほどに愛着を持てなかった「響リョウ」と否応なく向き合った結果、リョウとアニスそれぞれのキャラメイクに於いて、ラストバトルと似て異なる違和感をファンに与えることになったと思います。
園田氏のインタビュー再掲。園田氏の中にはインタビューにある「ヒロインに愛されるヒーロー」というテンプレートが既にあり、その上にリョウとアニスを乗せただけで、ロムとレイナに互換可能なぐらいにキャラは掘り下げられてません。下手したら思春期迎えた仁とマリアにも互換利くんじゃないかしら。
園田氏のこだわりが見えるのは、序盤の公園のベンチで会話するリョウ&チャックと、ラストのカップル2組&サンダーのメタネタ絡めた会話のみで、主題であるリョウとアニスの関係性は、村山監督のオーダーに応えて書き出しただけ。と勘繰るレベルで愛情が感じられません。下手したら「悩めるリョウに拒絶されても尚尽くそうとするアニス」の構図を先に考えたのは園田氏で、村山監督は制作の都合上、それに従うしかなかったんじゃないかとすら思ったりします。脚本が二転三転したというラストバトルと逆で、プロットをひとつしか出さずそのまま脚本作業に入ったんじゃないかと。
「メモリーを喪った悲しみを引きずるリョウ」「立ち止まったリョウを励ますアニス」「そこに付け込む妖魔の残党」等、パーツ自体は別にアリなんですよ。そのパーツをパチ組みしただけで、塗装どころかパテ埋めもヤスリがけもされず段差が丸見えのプラモデルのような安っぽさ。素人の手慰みならともかく、元シリーズ構成者が「商品」を手掛けてコレというのが今更ながら泣けてきます。まあ話として成立すらしてなかったライトニングトラップの100倍はマシですけど。
TVシリーズの園田脚本回、アニス主役のSSやドラマCDを思い出してみていただきたい。リョウに理不尽になじられたら、ブチギレて部屋が半壊するレベルで殴り返すのが「園田アニス」なはずで、悲しげに黙り込むなんてあり得ないでしょう。
もしかしたら、ラバレのアニスはあくまで「ラバレ専用のアニス」であり、自分が思い入れて描いてきたアニスではない。と一線を引く意図が園田氏にあったのではないか。実際その後リリースされたカセットブックでは、アニスがリョウのことなんか好きな訳ないでしょ? と云わんばかりの(ふたりのやりとりの)刺々しさ、頑なな否定しかなかった辺りに、それが感じられます。
剣狼1で、レイナは「レイナ・ストール」を演じる女優とされていたので(何でか2と3でその設定はきれいさっぱり忘れられましたが)、園田氏の脳内では、ラバレのアニスのリョウへの恋は「演技」という設定だったんじゃないかと思います。ラストシーンが終わった瞬間に、リョウをボッコボコにするアニスというエンドロールもあり得たかも知れないですね(棒)。
小説版の発売をぺろっと告知してましたが、結局出なかったのはどういう事情なんでしょうね。そこまで進んでたならモノは書き上がっていたと思うんですが。勝手な想像ですが、菊池氏のスケジュール絡みじゃないかなあ…当時の富士見書房のビジュアル最優先主義を思うと(富士見には仕事で関わったこともあるので)、菊池氏が描かなきゃ売れないから出しません(完)ぐらい余裕であり得ますし。
話を戻して。ラバレがファンに与えたいちばんの違和感は「悩めるリョウ」じゃないでしょうか。確かに立ち位置は(ハッサンの傀儡だった)ラストバトルとは比べ物にならないぐらいに「ボーグマンの主人公」として描かれていますし、菊池氏はアニス以上にリョウのヒーロー性に拘ったのではと思う位に、彼を丁寧に演出されてました。
ですが、リョウはTVシリーズでは一貫して「誰に対しても優しく人を傷つけることを嫌う」青年として描かれており、ぬこ妖魔の罠で「メモリーを救えなかった悔恨」に追い詰められていたとしても、チャックとアニスの気遣いを邪険にしたり、2人を遠ざけたりするリョウの姿にはやっぱり疑問が残ります。
最初の考察でも触れましたが、ラバレのリョウは教師でもなくヒーローでもない「ただの響リョウ」であり、そうしないとアニスとの恋を始められない。それは理解できるんですが、ラバレは最初から最後までリョウ本来の好青年な面がほとんど描かれないままで、この点に関してはラストバトルのリョウの方がまだ(ファンのイメージ的に)しっくりいくんじゃないでしょうか。
また詳しく触れたい部分ですが、「超者ライディーン」の主人公が終盤、ラバレのリョウと同じように苦悩し廃人化する下りがあり、園田氏の作劇上のこだわりというか、手癖みたいなモンだったんじゃないかと思えます。そういえば無印ポケモンでサトシがライバルのヒロシ君に敗北した後、荒れまくって気遣うカスミにも当たり散らしてオーキド博士やお母さんに窘められても頑なな態度を崩さなかった場面があったっけ…「主人公の苦悩」のバリエーションなさすぎじゃないですかね。
個人的にですが、右手に異常を感じたリョウが、それを悟られたくない一心でアニスとチャックに心にもないことを云ってしまう、それを不本意とする描写があれば印象が変わったんじゃないかしら。そういった配慮もなく(園田氏が重視したのは「アニスのリョウに対する献身」だったようですし)、演出と松本氏の演技によるフォローで、かろうじて響リョウが成り立った作品だと思います。特に松本さん、ラストバトルとラバレ、どちらもTVシリーズから微妙にブレた響リョウだったのに、声の力でファンを「説得」したのは本当に凄いと思います。
しかし何が哀しいって、ラバレは剣狼シリーズと違い、園田氏の存在はさほど重要ではなく、誰が脚本を担当しようがファンの評価は変わらなかったと断言できる点です。ラバレは「菊池通隆作監のボーグマン」であることがすべてで、リョウとアニスがどういう結ばれ方をしようが、菊池氏が関わっていれば誰もが受け入れる。それぐらい当時の菊池氏の人気と寄せられた期待は絶大なものだった。「アニスの生みの親」「ボーグマンの原作者」という自負があったはずの園田氏が、菊池氏を乗せた神輿を持ち上げる「裏方」に回された訳で、剣狼伝説等でのジャイアンぶりを思うとモチベーションがあったとは思えないンですよ。
「ライトニングトラップ」でアニスを使えなかったことも、園田氏のモチベ低下に影響しているのではと思ってますが、長くなるので別の機会に。ただ「レイナVSアニス」が園田氏主導で実現していたら、その後のボーグマンの在り方やリョウとアニスの関係は大きく変わっていたんじゃないかと思います。「アニスとレイナは園田プロダクションの女優」という後付け設定を全面に出していたら、ラバレでリョウとアニスがくっつこうがラストバトルで同棲していようが、「あれは演技です」で否定できますし。おすし。
特に云いたかったことを優先してしまいましたスミマセン。次回はラバレ良かった探しを優先します。ラストバトルよりはいっぱい褒めますヽ(´ー`)ノ
2020年12月29日
【12/27】LOVERS RAIN考察2020その2【30周年】
posted by はらよしかず at 20:43| ボーグマン
2020年12月22日
【今年で】LOVERS RAIN考察2020【30周年】
予告通りラバレ30周年記念再考察です。と云いながら実は1年前に手を付けて放置していたテキストの続きの作業でした(白目)。本当は去年のイベントに便乗して発表したかった。
ブログはじめた当初にド長文の考察やりましたが、いろいろ再検証進めたことで認識が諸処変わりました。ぶっちゃけ、好意的に見過ぎていたかなーと思う要素が少なくありませんが、撤回するほどでもないというか(どないや)。
今回は2〜3回ぐらいに分けて、間を置かずに更新できたらなーと思ってますが思ってるだけです。
ラストバトルを見返す度に痛感させられたのは、ラバレが如何にラストバトルで根岸監督に「篩にかけられて落とされた」ファンの受け皿として機能していたか、菊池氏をはじめとする一部スタッフがラストバトルに不満を抱いたか、という点です。
ラストバトルから間を置かないタイミングでドラマCDが出たので、そっちを受け皿にしたファンも多いかと思いますが、わたしは(TVシリーズ終盤以降メインから外れたことで)一旦大人しくなった園田氏を調子づかせたギルティアイテムとして認識しております。菊池氏のカット目当てで再入手してますが、いまだに聴く気が起きないのもそのせいです。
下衆な見方をすると、ラバレのメインテーマである「リョウとアニスの恋愛関係の補完」は方便で、根岸監督に目にもの見せてやりたい、という「反根岸派」によるリベンジの産物がラバレで、その「逆襲」は間違いなく成功したと思います。おそらくその時には根岸監督の中でボーグマンは過去の経歴化していて、ラバレに関心はなかったと思いますが。もしかしたら、LD-BOXのライナーノーツにピックアップされなかったのは、根岸監督に当時を振り返る余裕がなく取材を断った可能性もあったりしたのかしらと。
で、本題ですが、ラバレの価値は内容を含め、アニメVと連動した「菊池通隆作監のボーグマン」のプロモーションで盛り上がったファンが、アニメVを通して発売に至るまで、スタッフと共にボーグマンを共有できた「お祭り」期間にあったんじゃないでしょうか。あの頃のアニメVは楽しかったよね…あ、余計なことは思い出さなくていいですよさないか押入れからアニメVを取り出そうとするのは!(荒ぶる語気)
アニメV1990年9月号より。ここからリリースまで連載記事が組まれます。菊池氏とは専門学校時代からのお付き合いだったという村山監督との親密度の高さが窺えますが、これぐらい信頼関係を築けるスタッフで固めないと作品作れなかったんだろうなあと。菊池氏ががっつり作監やったOAVって結局ラバレとゼオライマーだけですよね。
何度か書いてることですが、ラバレ発売までの菊池氏の仕事量が本当に半端なく、ボーグマンを手掛けたい、ファンが求めるものを提供したい、という情熱には今でも心打たれるものを感じております。続編への抵抗感を抱えたままラストバトルを発表した根岸監督と対照的だったと云わざるを得ない。
なんせ、
・作画監督&Bパート絵コンテ
・セール版ビデオ&LDジャケット(+特典ポスター)描き下ろし
・レンタル版ジャケット描き下ろし
・サントラジャケット描き下ろし&楽曲解説文寄稿
・アニメV連載記事参加&表紙イラスト2回
・劇場版パンフレットコメント寄稿
・上映イベント登壇
・FC会報インタビュー
これらの仕事のほとんどをやり遂げられてるんですよ(さすがに本編の作監はお手伝いが入ったそうですが)。麻宮名義の仕事も抱えていたことを思うと、よく過労で再入院されなかったなあと驚嘆します。作監の現場もPとの攻防があった等ギリギリの状況だったそうですし、本当に執念の制作だったんだなと。
ラバレが当時のOAVでも稀有と云ってもいい点は、「菊池通隆作監のボーグマン」の一点突破で、ラストバトル超えどころか90年の東宝アニメビデオで売り上げ1位という結果を残したことじゃないでしょうか。おそらく菊池氏は「ボーグマンはオレが参加しなきゃファンは喜ばないだろ!」と素で思ってたと思いますし、自分を外して一方的に完結したラストバトルに憤り、ラバレという「反論」を(リリース的に)成功に導いた。そのプライドと当時の人気、実力が「本物」であることを自ら証明した訳で、そこは再評価されていいと思います。こんなナチュラルボーン俺様企画でヒットさせるなんて、今でもなかなかできることじゃないと思うんですよ。
サウンドトラックのライナーノーツ。別のページで各曲ごとにコメントを付けていられます。それもサントラの付加価値になってるのが凄いところ。そして行間から垣間見える根岸体制への不満。TVシリーズもラストバトルも菊池氏的には相当に歯がゆい内容だったんでしょうね。
「超音戦士」の在り方をスルーして終わらせたラストバトルは菊池氏にとって納得のいく作品であるはずがなく、それはラストバトルで演出を担当した村山氏も同じ思いだった。ラストバトルの考察で飽きる程触れましたが、リョウとアニスが同棲に至るまでの「空白の期間」など三年後の登場人物たちを描く上で必要だったはずの設定を、根岸監督も岸間氏も他スタッフにきちんと説明してなかった(考えてなかった?)と思われます。アフリカ設定前提の岸間氏のSSでは、ラストバトルにはつながらないですしねえ。
アニメVの連載記事で、村山氏はラストバトル批判と取れるコメントを残しているので、スタッフ間でもわだかまりの残る現場だったのかも知れません。
内容は決して褒められたものではなかったものの(こら)、ラバレはスタッフとファンが一緒に打ち上げた最後の花火だと思えば、終始ファンに向き合うことなく幕を引いたラストバトルより、良心的な作品だったと思います。
ここまで褒めてますが、ラバレにも致命的な欠点が存在してます。はっきり云いますが「脚本」です。最初の考察で褒めちぎっていたわたしに云いたい。「もうちょっと冷静になって見たら園田氏はやっぱり園田氏だぞ」。(次回に続く)
posted by はらよしかず at 17:54| ボーグマン
2020年11月13日
ポスター&雑談。
また予定変更で心苦しいのですが、超者感想を保留しての小ネタです。ライジンオーといい、テキストは視聴終了直後のテンションの高い間にさっさと打たないとモチベの鮮度が落ちますね(´・ω・`)いや30話以降の展開にかなり萎えたというのもあるんですが。駄作に転落したとか、そういうことでもないです念の為。
先日駿河屋でゲットした、ビデオ版の特典ポスターです。LD1巻の等身大アニスポスターとどっこいなレベルでレアアイテムだったんですが、ついったで駿河屋に出された方がいらっしゃったことを知り、アンパン食いながら駿河屋の新入荷を張り込みした次第ですぜボス(誰)。等身大アニスも一緒に入荷されてたんですが、さすがに両方は無理で涙を飲んで諦めました。持ってたのに、引っ越しの際に手放した自分が悪いんです…。
ビデオの特典と云えば、ヒロイックファンタジー風のリョウのポスターも(オク関係や駿河屋で)ほとんど見かけないので、もしかしたらアニス以上にレア化してるかも知れないですね。アニス人気に押された当時はともかく、現在は案外リョウ関係の方が入手しづらいかも。
入手して、画集に収録されたverはノートリミングだったと知りました。ポスターは上の窓部分がトリミングされてるんですよね。菊池氏が気に入っていたという「シャツから透けて見える肌」の表現はポスターサイズならではで、画集では気付かなかった塗り等があったりしてやはり大きいことは良いことです。画集は縮小される分、線が綺麗になるという利点はありますけど、今だと当時の印刷技術の限界が見えるのが辛いです。スキャンしてPCのモニターで見ると粗さが見えてしまうんですよねー。絶対に元絵の方が色味は良いはず。
いやもう本当、ゆきちさんレベルの価格になってもいいんで、麻宮(菊池)先生には今の印刷技術を駆使して画集を出し直していただきたい。ゼロエンやスペオペの単行本は、相当に色合いや紙にこだわってるそうですし。しかし現物見たことない罠。近辺の本屋は少年画報社の単行本はドリフぐらいしか扱ってないから…アワーズの準看板のアルペジオですら見かけないから…。
ラバレサントラ特典ポスター。かなり前に奥で入手してたんですが、ずっと紹介しそびれててそのまま入手したことを忘れていました…今回ポスター出した時に見つけて「いつの間に(オクで)落としてたっけ…?」と首を傾げたなどと。
菊池氏がハードスケジュールの中で仕上げられた一品だと思うので即興も感じられますが、それでもシックな色合いがロマンチックな雰囲気を醸しており、これもポスターならではだと思います。りょあに者に最高のサービスありがとうございます! ありがとうございます!(2回目)
またラバレ再考察やる時に触れますが、菊池氏のファンサービスに対する着眼点の鋭さはラストバトルの比じゃないんですよね。画風の変化はさておいても、「ボーグマンで何をすればファンに喜ばれるか」を念頭に置いて理解しておられたのは、当時のメインスタッフでは菊池氏だけじゃなかったかと。根岸監督がズレまくっていたから尚更そう思えるのかも知れませんが。
こっから雑談。先日フォロワー様とのやりとりで知った1970年代の海外ドラマ「600万ドルの男」と「バイオニック・ジェミー」についてちろっと調べていました。昔の海外ドラマと云えばチャーリーズエンジェルとか奥様は魔女かコロンボぐらいしか記憶にない(ジェミーはちょびっと知っていたかも)ので、己の惰弱ぶりをちょっと責めたくなりました。
「元宇宙飛行士」の主人公が事故で重傷を負い、改造手術を経て「バイオニック・マン(サイボーグ)」となり政府の秘密情報機関のエージェントになるという設定だそうで、どう聞いてもボーグマンです本当にありがとうございました。バイオニック・ジェミーは主人公の婚約者であるジェミーが、やはり事故でサイボーグとなるスピンオフ作品。これもアニスを想起させる設定で、何で誰も教えてくれなかったの…? と目を剥きました(惰弱の恨み言)。
今まで調べたスタッフのコメントにはなかった作品(せいぜいロボコップ止まり)なので、リスペクトとまではいかなかったと思われます。ただ、スタッフの誰か(そういったお遊びが好きそうな園田氏?)が分かる人に分かればいいぐらいの感覚で、「宇宙飛行士」の設定をリョウとチャックに仕込んだのかも知れないと思いました。
つべやニコ動で探してみたんですが、作品そのものはさすがにほとんど見れずOPぐらいしかないです。しかしちょびっとだけあったジェミーのブツ切りの本編を見ただけでも、何でこれボーグマンでやれなかったの…? というぐらい、サイボーグという設定をふんだんに活かした世界観とアクションがてんこ盛りだったんですよ…。サイボーグ化の手術シーンとか常人離れした怪力やジャンプ力を見せる場面とか。バイオニックの研究室? に置かれた義手義足の動作実験描写は今でも充分イケるんではないかと思う位SF考証がしっかりしてて、えらく未来に生きてた作品だったんだなあと感心しました。
ジェミーOP。これだけで雰囲気が伝わってきます。婚約者を救いたいという主人公の想いから、意に沿わないサイボーグ化を経て人ならざる存在となったジェミーの苦悩とか、数少ない映像から充分窺えるのが何とも。アニスでちゃんと見てみたかったテーマですね。せめてラストバトルでリスペクトしていたら…もしかしたら、それをやろうとしていたのがアフリカ設定だったんですかね。今更云っても詮無いことですけどね。
ジェミーは小学校の先生設定が一時期あったそうですが、ボーグマンでの教師設定は読広の要望だったので、その辺は偶然かなーと。
タイトルの「600万ドル」は主人公にかかった改造手術の費用を意味しているそうですが、云われてみればボーグマン計画もどんだけ予算かかってたのか。スペースブロックとボーグマン計画は、メガロシティ復興の象徴として進められたものだと勝手に思ってましたが、メガロシティどころじゃなく日本の宇宙開発技術の威信をかけたプロジェクトだったんじゃないのか。それをメモリーに振られた腹いせにぶち壊したメッシュえげつねえな。まあスタッフの誰もそこまで考えてなかったと思いますけど(断言)。
リョウとチャックは恋人(アニスと美姫)がセレブお嬢で良かったよね。メモリー亡き後はメンテナンスだけでハウマッチ? よねヽ(´ー`)ノ
先日駿河屋でゲットした、ビデオ版の特典ポスターです。LD1巻の等身大アニスポスターとどっこいなレベルでレアアイテムだったんですが、ついったで駿河屋に出された方がいらっしゃったことを知り、アンパン食いながら駿河屋の新入荷を張り込みした次第ですぜボス(誰)。等身大アニスも一緒に入荷されてたんですが、さすがに両方は無理で涙を飲んで諦めました。持ってたのに、引っ越しの際に手放した自分が悪いんです…。
ビデオの特典と云えば、ヒロイックファンタジー風のリョウのポスターも(オク関係や駿河屋で)ほとんど見かけないので、もしかしたらアニス以上にレア化してるかも知れないですね。アニス人気に押された当時はともかく、現在は案外リョウ関係の方が入手しづらいかも。
入手して、画集に収録されたverはノートリミングだったと知りました。ポスターは上の窓部分がトリミングされてるんですよね。菊池氏が気に入っていたという「シャツから透けて見える肌」の表現はポスターサイズならではで、画集では気付かなかった塗り等があったりしてやはり大きいことは良いことです。画集は縮小される分、線が綺麗になるという利点はありますけど、今だと当時の印刷技術の限界が見えるのが辛いです。スキャンしてPCのモニターで見ると粗さが見えてしまうんですよねー。絶対に元絵の方が色味は良いはず。
いやもう本当、ゆきちさんレベルの価格になってもいいんで、麻宮(菊池)先生には今の印刷技術を駆使して画集を出し直していただきたい。ゼロエンやスペオペの単行本は、相当に色合いや紙にこだわってるそうですし。しかし現物見たことない罠。近辺の本屋は少年画報社の単行本はドリフぐらいしか扱ってないから…アワーズの準看板のアルペジオですら見かけないから…。
ラバレサントラ特典ポスター。かなり前に奥で入手してたんですが、ずっと紹介しそびれててそのまま入手したことを忘れていました…今回ポスター出した時に見つけて「いつの間に(オクで)落としてたっけ…?」と首を傾げたなどと。
菊池氏がハードスケジュールの中で仕上げられた一品だと思うので即興も感じられますが、それでもシックな色合いがロマンチックな雰囲気を醸しており、これもポスターならではだと思います。りょあに者に最高のサービスありがとうございます! ありがとうございます!(2回目)
またラバレ再考察やる時に触れますが、菊池氏のファンサービスに対する着眼点の鋭さはラストバトルの比じゃないんですよね。画風の変化はさておいても、「ボーグマンで何をすればファンに喜ばれるか」を念頭に置いて理解しておられたのは、当時のメインスタッフでは菊池氏だけじゃなかったかと。根岸監督がズレまくっていたから尚更そう思えるのかも知れませんが。
こっから雑談。先日フォロワー様とのやりとりで知った1970年代の海外ドラマ「600万ドルの男」と「バイオニック・ジェミー」についてちろっと調べていました。昔の海外ドラマと云えばチャーリーズエンジェルとか奥様は魔女かコロンボぐらいしか記憶にない(ジェミーはちょびっと知っていたかも)ので、己の惰弱ぶりをちょっと責めたくなりました。
「元宇宙飛行士」の主人公が事故で重傷を負い、改造手術を経て「バイオニック・マン(サイボーグ)」となり政府の秘密情報機関のエージェントになるという設定だそうで、どう聞いてもボーグマンです本当にありがとうございました。バイオニック・ジェミーは主人公の婚約者であるジェミーが、やはり事故でサイボーグとなるスピンオフ作品。これもアニスを想起させる設定で、何で誰も教えてくれなかったの…? と目を剥きました(惰弱の恨み言)。
今まで調べたスタッフのコメントにはなかった作品(せいぜいロボコップ止まり)なので、リスペクトとまではいかなかったと思われます。ただ、スタッフの誰か(そういったお遊びが好きそうな園田氏?)が分かる人に分かればいいぐらいの感覚で、「宇宙飛行士」の設定をリョウとチャックに仕込んだのかも知れないと思いました。
つべやニコ動で探してみたんですが、作品そのものはさすがにほとんど見れずOPぐらいしかないです。しかしちょびっとだけあったジェミーのブツ切りの本編を見ただけでも、何でこれボーグマンでやれなかったの…? というぐらい、サイボーグという設定をふんだんに活かした世界観とアクションがてんこ盛りだったんですよ…。サイボーグ化の手術シーンとか常人離れした怪力やジャンプ力を見せる場面とか。バイオニックの研究室? に置かれた義手義足の動作実験描写は今でも充分イケるんではないかと思う位SF考証がしっかりしてて、えらく未来に生きてた作品だったんだなあと感心しました。
ジェミーOP。これだけで雰囲気が伝わってきます。婚約者を救いたいという主人公の想いから、意に沿わないサイボーグ化を経て人ならざる存在となったジェミーの苦悩とか、数少ない映像から充分窺えるのが何とも。アニスでちゃんと見てみたかったテーマですね。せめてラストバトルでリスペクトしていたら…もしかしたら、それをやろうとしていたのがアフリカ設定だったんですかね。今更云っても詮無いことですけどね。
ジェミーは小学校の先生設定が一時期あったそうですが、ボーグマンでの教師設定は読広の要望だったので、その辺は偶然かなーと。
タイトルの「600万ドル」は主人公にかかった改造手術の費用を意味しているそうですが、云われてみればボーグマン計画もどんだけ予算かかってたのか。スペースブロックとボーグマン計画は、メガロシティ復興の象徴として進められたものだと勝手に思ってましたが、メガロシティどころじゃなく日本の宇宙開発技術の威信をかけたプロジェクトだったんじゃないのか。それをメモリーに振られた腹いせにぶち壊したメッシュえげつねえな。まあスタッフの誰もそこまで考えてなかったと思いますけど(断言)。
リョウとチャックは恋人(アニスと美姫)がセレブお嬢で良かったよね。メモリー亡き後はメンテナンスだけでハウマッチ? よねヽ(´ー`)ノ
posted by はらよしかず at 18:00| ボーグマン
2020年10月23日
【会川節】TVシリーズ16話感想【炸裂】
今年は心身共に取っ散らかった状態が続いてしまい、やりたかったことがほとんどできずに終わりそうです(´・ω・`)ずっと云ってる体調不良に関してはトシがトシということでお察しいただきたい。哀しいですね加齢。チャック誕も見送ってすまない…。それでも年末のラバレ30周年だけは何とか。
とりあえず仕切り直しで16話感想です。意外にもリョウとチャックの関係の掘り下げが行われたのはこの回だけだったりします。ふたりの友情が必要以上に熱くクドく描かれており、リョウの美青年度が異常に増す池田作監でブーストが掛かったこともあり、見てて非常にこっ恥ずかしいエピソードです。しかし当時の腐女子にとって最高の神回だったことは想像に難くありませんが、ボーグマンに関してはくされはいまだに地雷気味なんで詳しいことは分かりませんヽ(´ー`)ノ
会川氏による愛…もとい熱い友情の描写は、後のアイアンリーガーやジェイデッカーにも通じるものがありまして、この辺に関しては「会川脚本と私」で長文記事打てそうなレベルで、会川氏はわたくしのくされ心を育んで下さいました。マグナム×十郎太とかシャドウ丸×カゲロウとかアンタロボット同士ばっかじゃん何か問題でも?
会川氏が天然だったのか確信犯(誤用)だったのかは不明ですが、最近になって会川氏がボーイズラブ作品のオーディオドラマの脚本を手掛けたことがあると知り、そういった素養を標準装備しているクリエイターだったということかしらと。メジャーセカンドの満田先生とかはじめの一歩の森川先生とか、「男同士の友情」に乙女のエッセンスを垂らせる男性作家は割と多いはずで、会川氏もそういう系統の方なんでしょう。「知ってるフリ」した作家がこれをやった場合、少しでも匙加減を間違えると女性ファンから反発される難しい部分だったりしますよ。何にせよありがとう会川脚本です。
余談ですが、わたし会川氏を全面的に肯定してる訳でもないです。ハガレン一期とリーガーOAVは絶許なんで。
前置きが不必要に長くなりましたが本題です。あいつくされな話題だと早口になるよな(セルフ)。
・リョウたちに映画の話を持ち込んできたシンジに初っ端からイラっとさせられます。だから何でこんな危なっかしい餓鬼に正体を教えたし。今回のエピのシンジは人質になったりはしませんが、諸悪の根源ぶりが凄まじいのでその罪も記していく。
・親父の知り合いにボーグマン(みたいな先生)がいるって云ったよー喋ってないよー(笑)。そして「主役のスタントマン」であることを意図的に伏せている。なんという吐き気を催す邪悪。
・「主役の体格的に」チャック先生の方がいい、と云わなかったことで、リョウとチャックの間に溝ができましたハイここテストに出ますよー覚えておきましょうねー。
・ここでアニスがリョウよりチャックの方がハンサムと認識していることが発覚。冗談で云っただけかも知れませんが、この煽り(?)でムキになったリョウがチャックに勝負を申し出ます。
・ちょいズルして勝利したチャックですが、前述の通り実はスタントマンで火責め水責めとロクな目に遭わずいじけていくことに。それを(スタジオ見学の名目で?)高見の見物で笑っちゃうリョウと子供たち。
ロボコップを意識したように思えるデザイン。
・この辺で残念なのは、チャックが不満を抱えていく描写が弱いことです。特に作画がそんなに不満げに描かれてないせいで、後のリョウとのやりとりでの意固地ぶりが不自然に見えるんですよね。
・思ってたのと違うすぎて嫌になって帰ろうかなーとか云っちゃうチャックの前に、ヒロイン役の美女・岬ハルカが接近。まんまとハニトラに引っかかってもうちょっと頑張る決意をするチャック先生でした。ちなみに美姫と出会うのはこの直後の17話なのでノットギルティ。
・撮影続行中に、殺傷能力アリアリなビームで狙われたことで、撮影を抜け出し調査に出すチャック。その前にスタッフにクレーム付けても良かったんじゃないのまあ全員妖魔の手先にされてるンですけど。
・撮影所から離れた公園? でお弁当タイムなリョウとアニスと子供たち。演出程度のここの会話、非常にいい味出ていて聞き流すのが勿体なかったりします。
・アニスが「初めて作った」おかずを敬遠するリョウと乱堂という内容の会話だったんですが、お前らアニスが作った食事の何が不満か! 例え銀魂のお妙さんが作るダークマt…卵焼きレベルだったとしても食え果報者が!(噴火)
・乱堂との弁当の取り合いでモーリーに「先生子供みたい」と云われ、ちょっと恥じるリョウがよろしい。こういうキャラの肉付けは実は会川氏ならではだったりします。
・妖魔反応に気付き、アニスに子供たちを任せて駆け付けたリョウの前には、妖魔獣と交戦するチャックの姿。助太刀するつもりが、意固地になっているチャックに拒絶されて云い合いに。その隙に妖魔獣に逃げられ、ふたりはますます険悪なムードに。
azatoi
・正直チャックの方が悪いんですよね。チャックひとりでどうにかなった相手とも思えないし。しかしご機嫌斜めのチャックは「お前が勝手にしゃしゃり出てきた」とリョウをなじってしまい、さすがにリョウも怒って撮影所を去ってしまいます。
・割と面白いのが、こういうパターンだと主人公の方がムキムキして当たる側になりがちなのに、それを冷静に受け止めて諫めるのはリョウの方なんですよね。「お前ひとりでボーグマンをやってるつもりか?」とか。
・このケンカに遭遇したアニスとシンジ。状況が飲み込めないアニスは困惑。チャックは(本気で怒りやがって…)と思いながらも、ちょっと云い過ぎた自覚はあったり。
・サンダーに乗り撮影所を後にするリョウですが、すぐに頭が冷えたらしくもう怒ってません。それどころか「オレも云い過ぎた」と反省までしています。ここがリョウのいいところで、自分が一歩引いて諍いが収まるならそうする性格であることが表れてます。ただ会川氏の解釈であって、園田氏だったらこういうリョウにはしなかったと思いますけど。
・場面変わって撮影所の地下に向かう映画監督。そこにはディスボールという妖魔が、撮影スタッフの生命力を吸ってエネルギーを溜め込んでました。そして監督の背後には岬ハルカ。彼女の正体は妖魔人ウシャスで、ボーグマンチームの結束が乱れている間に各個撃破しろと命令されます。監督の正体はケルベルスだったのでした。
・えっちょっと待って。ケルちゃんはアニスがボーグマンなのは確かに知ってるはずですが(15話)、チャックとリョウはいつ分かったの…? ああそうか。リョウだったらダストジードとの闘いをウォッチしてたか。
・ケルちゃんによると、撮影所を妖魔基地にするために乗っ取ったらしいんですが、ええと人間が娯楽を楽しんだ時に発生するエナジーが目的なら、撮影所より映画館の方が良くないかしら。と云うか、ケルちゃん映画監督やりたかっただけじゃないの…? 前回の妖魔ブティックといい17話のナイトメアシアターといい、娯楽施設めっちゃ好きやな。
・そしてケルちゃんはボーグマンをおびき寄せる手段として撮影所を乗っ取った訳ではなく、「偶然」彼らが来たのでラッキーという本音。
・はい皆さんここでテストです。本来なら来るはずがなかったボーグマンたちがこの撮影所を訪れるきっかけはなんだったでしょうか?
・リョウが去った後の公園のベンチで、シンジがアニスにリョウとチャックに失望したことを訴えます。ケンカなんかしてあんなのヒーローらしくないじゃん! 僕あんなボーグマン嫌いだ!
・さあ皆さん先刻のテストの答です!「そのケンカの原因を作ったのはてめーだよ糞馬鹿!」
・会川氏もそこまで考えてた訳ではないんでしょうけど、わたくし普段の人質の呼吸壱ノ型! 妖魔召喚! よりも、この回のシンジが最終回のシンジと同レベルにムカつきます。悪気がないというのは本当に罪。
・アニスは静かに淡々と、リョウとチャックの過去をシンジに打ち明けます。ここでリョウとチャックが単なる宇宙環境対応型のボーグマンではなく、妖魔と戦うために更に肉体改造を施した戦闘用サイボーグであることが判明。それを申し出たのはふたりでメモリーは反対していたようですが、どう説得したのか気になる。
・メモリーは多分、二人ともスペースブロックの悲劇のことは忘れて、それこそNASA辺りでやり直して欲しいと願っていたんじゃないでしょうか。その願いを退けてでも、リョウとチャックは妖魔を倒すことを望んだと。
アニスの語りが入ったことで、この横顔に哀愁が加わって好き。
アニスの優しい表情と、シンジの手の組み方が細かくて好きなショットです。
・だから、ふたりとも本当は分かり合っていて、妖魔を早く倒したくて焦っているだけ、とアニスに諭されたことで思い直すシンジ。いや思い直さなくていいから、もうボーグマンなんて嫌いだから別の学校に転校すゆ! とか云ってくれ。お願い。
・会川氏的には、アニスは一歩下がったところからリョウとチャックを見ている立場で、ジリオン3人組のように「均等」ではなかったのかなあと思ったり。その辺のバランス取りは岸間&園田氏もずっと模索してたっぽいですね。園田氏は途中でアニスに入れ込んだせいで、アニスの方が一歩前に出ちゃった気がします。
・岬ハルカに呼び出されて直球ハニトラ仕掛けられたチャックは、彼女が妖魔であること、先刻逃がした妖魔獣ラグナドンとグルだったことを知りボーグゲットオン。でもさすがに二体同時はきっついわーな事態に。
・その時、撮影所に妖魔反応が出たことをリョウに伝えるサンダー。チャックなら大丈夫だよと答えたリョウですが、妖魔反応は三匹分(ディスボール追加)と云われて何ィ!? と即Uターン。案の定チャックは大苦戦中でした。
・そこにスーパーサンダーと共に駆け付けるリョウ。ちょびっとバツが悪いチャックに対してまったくいつも通りなリョウがとても良いのです。さあスーパー腐女子タイムがはじまるわよー!
・妖魔工場で三体合体トリプルモンスター化した妖魔を相手に、超ノリノリバカップル化したリョウとチャック。後からやってきたアニスは今日のオレたちに敵はないふたりで充分! といらない子扱いされ、どう見てもうすいほんで当て馬扱いされるヒロインです本当にありがとうございました。
・「チャック、例の手で行くぜ!」どんな手? とか云ってたら妖魔の反撃喰らってお仲良く一緒に吹っ飛ぶふたり。アニスをないがしろにした結果このザマである。
・いやいやこれはリョウとチャックがラブ…もとい熱い絆を結び直す前フリなのです。咄嗟にリョウを庇っていたチャックにんほぉぉ! となった腐女子も多かったろうて(ゲス顔)。
azatoi
・とは云え、それなりにダメージ喰らっていたふたりでしたが、「オレたちは妖魔と戦うために生まれた! そうだろうリョウ!」「ああ!」と毅然と立ち上がるふたりがこのエピのクライマックスで、熱さ極まれりで最高に恥ずかしい。臆面もなくこういう場面を描いてしまえるのが会川氏の強みで、岸間&園田氏にはない持ち味でしたがやっぱり恥ずかしい。
・つか、本当は宇宙飛行士になるために生まれてきたんじゃないのチャック。それすらも「妖魔と戦うための布石」としていたのならたいしたモンですが、その場のノリで云った気がして仕方ない。たぶんその後は「オレは美姫と出会う為に生まれてきたんだ…」になる。
・慌ててスーパーサンダーに飛び乗ったアニスと合流し、スーパーサンダー特攻を妖魔にかけるボーグマンチーム。でもね、チャック的には妖魔に「お前らでも裂けられないオレとリョウの絆を見せつける」特攻だったので、アニスがいようがいまいが同じだったの。しゅごいよね。この後美姫が出てこなかったらきっと結婚してましたね(真顔)。
・無事に妖魔を倒してやったぜ! とふたりだけで目くばせし合う様子を前に「男の気持ちは分かんないわね!」と呆れるアニス。ヒロインは在れども空気がごとしは会川脚本作品でよくある図で、ジェイデッカーでも似たようなシチュやってるんですよね。あずき姉ちゃんがこういうポジにいたような。
・一件落着での帰り道、映画は結局お釈迦になってチャックのスタント仕事もなかったことに。そこでリョウが混ぜっ返してチャックと云い合いになりますが、ここの(演出上の)会話も何気に面白いんですよ。「妖魔の女とデレデレしやがって!」ああ、じぇらしいだね…気の毒だけどチャックにはこの後すぐに彼女できちゃうからね…。
・そんなふたりをとても優しく見守るアニスという構図でスーパー腐女子回終了。ああ、シンジもいたかどうでもいいや(疎まし気に)。
・この16話はメモリーが回想以外で出てこなかった珍しい回でもあり、「リョウとチャック」を中心に置くためにそうしたことが窺えます。会川氏のこだわりはふたりに寄ってて、それにはメモリーがネックになってたのかなと思ったり。実際、会川氏がきちんとメモリーを描くようになったのは23話以降なので。
というカンジの16話感想でした。分かっていただけましたかリョウとチャックの愛…いえ織田シンジの極悪さを。
余談。クレジットにはなかったんですが
このスタッフのモブ兄ちゃんは佐々木望氏じゃないかしら。
このスタッフのモブ兄ちゃんは佐々木望氏じゃないかしら。
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posted by はらよしかず at 15:32| ボーグマン
2020年09月22日
【誕生日】響リョウ脚本家別考察スペシャル【おめ】
体調はぼちぼち回復してきてるんですが、あつ森が忙し…もとい諸処手が回らず企画を練る余裕がなかったので(正直5回目ともなるとネタ出しが苦しくもあり)、モーリーでやった脚本家別のリョウ分析です。アニスでやった作監別もちょっと考えたんですが、主人公とはいえ男キャラでやっても女性ファンしか楽しくないかもなあ…と思い、テキストの合間に挟む形にしました。
ぶっちゃけ、リョウは13話と22話と最終回を押さえればキャラの全容が見えると云っていいぐらい、この三本が響リョウという主人公を描き切ってるンですが、それ云ったら今回の記事が終わってしまうので、誕生日だし語れるだけ語ってみようかと。モーリー特集同様、脚本家及び作監陣の名前は敬称略とさせていただきます。
【岸間信明】
岸間氏と云えば神回22話で「教師でありヒーローであり周囲に目配りできる好青年でもある」という多角的な面からリョウを描き切るという、園田&会川両氏もできなかった離れ技を成した方です。が、1クール目は夏目想太郎の設定にかなり引っ張られた形跡があり、3話で遅刻を責められて弁明する場面や、9話で水上バイクを乱堂と共にカスタム中にドタバタする姿にそれは見て取れます。夏目想太郎から脱却したのは12話で、シンジを心配する子供たちを優しくなだめたり、シンジに疑惑を持たれたアニスに助け船を出したりと、自己主張より周囲の人々の思いを優先する青年としてリョウを据え、この流れが直結した13話で(岸間&会川氏的には)キャラクターがほぼ確定した印象です。脚本家陣ではいち早く「脱・想太郎」に切り替えた方で、おそらく根岸監督の意向を重視するようになったんでしょう。
2クール目以降はほとんどやんちゃしなくなり、安心して見ていられる主人公となりますが、そこが物足りないと感じた視聴者も多かったかも知れないですね。少なくとも「JJの踏襲」を期待していた向きには肩透かしだったかも。
岸間氏の場合、後半に行くほどリョウの「空気を読む」面を重視していったせいか、ヒーローとしての存在感はちょっと薄くなったかも知れません。リョウだけでなく、キャラに関しては22話で全部やり切ってしまい、以降は根岸監督が考えるストーリー構成ありきで脚本を仕上げていったのかしら。終盤はメモリー以外のキャラの掘り下げはほとんどされなくなっちゃったんで。
【会川昇】
13話で、響リョウという主人公の方向性をほぼ決めてしまった方ではないでしょうか。13話以前は夏目想太郎の範囲でしたが、それだと動かしづらかったのか(テーマが見えず苦慮した時期に書かれたという)、10話は本来なら主人公の行動であるはずの「身を挺してシロウ君を救出する」役割をチャックが担ってました。13話は「リョウたちの過去を(ダストジードと絡めて)描きたい」会川氏の想いが込められた回で、そこを描いた上でないと響リョウが掴めなかったんでしょう。それ以降から岸間リョウ同様の好青年路線となり、チャックと喧嘩してもすぐに反省したり(16話)、メモリーのえっちなお誘いを期待したり(19話)と、リョウのキャラの幅を広げたのも会川氏だと思います。
13話から16話の流れを見ると、「妖魔に夢を砕れた」という怒りと、だからこそ子供たちの夢を守りたいという信念をリョウの芯にすることが、会川氏にとって重要だったと思われます。根岸監督は「メモリーの信念」が最優先、園田氏は先ず3人の教師と子供たちの交流を描きたかったと思われるので、会川氏がいなかったらリョウの性格付けはしばらく迷走したかも知れません。監督からもシリーズ構成者からも二の次にされていたことが、ここに窺えるのがちょっと哀しいですけど。
【園田英樹】
わざわざ三番目にした理由はお察しだと思いますが、自身が創造した初期主人公の夏目想太郎にこだわり続け、響リョウとなかなか向かい合わなかったが故に、岸間&会川氏のキャラメイクに同調しなかったのが園田氏です。13話の会川氏、22話の岸間氏のような、リョウの決定版的なエピソードがないことがそれを物語ってます。28話はアニスメイン、34話はダストジードとメモリーの因縁の決着が中心で、リョウは終始影が薄かったし。
園田氏がどういう主人公にしたかったのかは、11話がいちばん分かりやすい気がします。チャックにからかわれてぐぬぬしてケンカを吹っ掛け、アニスやメモリーに叱られ子供たちからも下に見られがち。でもやる時にはやる。この「やる時にはやる」の部分がイマイチなんですよ。これ、おそらく園田氏は、クロノスのロム兄さんのような外連味とセットの口上をボーグマンにやらせたかった(初期設定と7話クライマックスのアニスでそれは窺えます)のに、それが成せなかったのが理由じゃないかと。たぶん根岸監督がやりたくなかったんでしょう。
クロノストークショーでもそれっぽいことは漏らしてましたし、根岸監督もインタビューで明かしていたことですが、園田氏が手掛けた脚本回は絵コンテでかなり変えられていたんじゃないでしょうか。重箱の隅レベルですけど、単細胞かと思ったらBパートで好青年の顔になったりと、あれ? と思うことが多いのは大抵園田脚本なので。
園田脚本のリョウのいい話と云えば20話ですが、アニメ誌のあらすじでは「迂闊な言葉でサオリちゃんを期待させてしまい、困ってメモリーを頼った(意訳)」とあり、これも夏目想太郎前提で考えていたエピをそのまま脚本に起こして、演出で変えられた可能性を疑ってしまいます。何と云うか、想太郎はノリの軽いお調子者でリョウでもそこを変えずにいて、絵コンテや演出で想太郎のエッセンスを削られたり抑えられたりで調整されてたんじゃないかと。園田氏的には響リョウは「ロムの下位互換」で、物足りない主人公だったのかも知れませんなあ。
それで済めば分からんこともなかったんですが(夏目想太郎がリョウ以上の主人公になれたとは微塵も思えませんけど)、アニスに入れ込み始めた後の冷遇と、露骨なりょあに否定だけはやっぱりいただけませんなあ。これがなかったらもうちょっと同情できたのに。多分。
【根岸弘】
最終回のみ監督が脚本を手掛けられましたが、ブルーレイBOXのインタビューによると、打ち切りが決定し全35話になると決まった時点で申し出られたそうです。本来なら園田氏の予定だったんでしょうね。監督がボーグマンをどういう物語にしたかったのかは、最終回と総集編の31話で明らかにされてます。園田氏との認識のズレが明確になってて興味深いんですが、これは別の機会に。
シンジとの最後の会話で、リョウの教師としての成長が描かれたのですが、リョウの“説得”は会川脚本の29話がベースになっており、監督的にもリョウは会川氏の解釈を是とした主人公だったと思われます。妖魔王との最終決戦を前に、悲壮感を見せずに「さあ行こうか」と笑顔で変身して怯まず最後まで立ち向かう姿を描き切り、主人公としてヒーローとして最高の見せ場を用意していたのが素晴らしいです。シンジだけは許しがたいですけど。
脚本ではないですが、FOREVERの演出で「戦いを離れたらシャイな普通の青年」とリョウを解釈していたことが窺えます。
そういうカンジのリョウ誕でした。もうちょっと練り込みたかったんですがこれが精一杯でした(´・ω・`)もっと回復したら補足したいです。
ぶっちゃけ、リョウは13話と22話と最終回を押さえればキャラの全容が見えると云っていいぐらい、この三本が響リョウという主人公を描き切ってるンですが、それ云ったら今回の記事が終わってしまうので、誕生日だし語れるだけ語ってみようかと。モーリー特集同様、脚本家及び作監陣の名前は敬称略とさせていただきます。
【池田好美】とにかくリョウがギャルい。
【岸間信明】
岸間氏と云えば神回22話で「教師でありヒーローであり周囲に目配りできる好青年でもある」という多角的な面からリョウを描き切るという、園田&会川両氏もできなかった離れ技を成した方です。が、1クール目は夏目想太郎の設定にかなり引っ張られた形跡があり、3話で遅刻を責められて弁明する場面や、9話で水上バイクを乱堂と共にカスタム中にドタバタする姿にそれは見て取れます。夏目想太郎から脱却したのは12話で、シンジを心配する子供たちを優しくなだめたり、シンジに疑惑を持たれたアニスに助け船を出したりと、自己主張より周囲の人々の思いを優先する青年としてリョウを据え、この流れが直結した13話で(岸間&会川氏的には)キャラクターがほぼ確定した印象です。脚本家陣ではいち早く「脱・想太郎」に切り替えた方で、おそらく根岸監督の意向を重視するようになったんでしょう。
2クール目以降はほとんどやんちゃしなくなり、安心して見ていられる主人公となりますが、そこが物足りないと感じた視聴者も多かったかも知れないですね。少なくとも「JJの踏襲」を期待していた向きには肩透かしだったかも。
岸間氏の場合、後半に行くほどリョウの「空気を読む」面を重視していったせいか、ヒーローとしての存在感はちょっと薄くなったかも知れません。リョウだけでなく、キャラに関しては22話で全部やり切ってしまい、以降は根岸監督が考えるストーリー構成ありきで脚本を仕上げていったのかしら。終盤はメモリー以外のキャラの掘り下げはほとんどされなくなっちゃったんで。
【松尾慎】カッコいいに全振り。
【会川昇】
13話で、響リョウという主人公の方向性をほぼ決めてしまった方ではないでしょうか。13話以前は夏目想太郎の範囲でしたが、それだと動かしづらかったのか(テーマが見えず苦慮した時期に書かれたという)、10話は本来なら主人公の行動であるはずの「身を挺してシロウ君を救出する」役割をチャックが担ってました。13話は「リョウたちの過去を(ダストジードと絡めて)描きたい」会川氏の想いが込められた回で、そこを描いた上でないと響リョウが掴めなかったんでしょう。それ以降から岸間リョウ同様の好青年路線となり、チャックと喧嘩してもすぐに反省したり(16話)、メモリーのえっちなお誘いを期待したり(19話)と、リョウのキャラの幅を広げたのも会川氏だと思います。
13話から16話の流れを見ると、「妖魔に夢を砕れた」という怒りと、だからこそ子供たちの夢を守りたいという信念をリョウの芯にすることが、会川氏にとって重要だったと思われます。根岸監督は「メモリーの信念」が最優先、園田氏は先ず3人の教師と子供たちの交流を描きたかったと思われるので、会川氏がいなかったらリョウの性格付けはしばらく迷走したかも知れません。監督からもシリーズ構成者からも二の次にされていたことが、ここに窺えるのがちょっと哀しいですけど。
【野中みゆき】とにかくモミアゲ。
【園田英樹】
わざわざ三番目にした理由はお察しだと思いますが、自身が創造した初期主人公の夏目想太郎にこだわり続け、響リョウとなかなか向かい合わなかったが故に、岸間&会川氏のキャラメイクに同調しなかったのが園田氏です。13話の会川氏、22話の岸間氏のような、リョウの決定版的なエピソードがないことがそれを物語ってます。28話はアニスメイン、34話はダストジードとメモリーの因縁の決着が中心で、リョウは終始影が薄かったし。
園田氏がどういう主人公にしたかったのかは、11話がいちばん分かりやすい気がします。チャックにからかわれてぐぬぬしてケンカを吹っ掛け、アニスやメモリーに叱られ子供たちからも下に見られがち。でもやる時にはやる。この「やる時にはやる」の部分がイマイチなんですよ。これ、おそらく園田氏は、クロノスのロム兄さんのような外連味とセットの口上をボーグマンにやらせたかった(初期設定と7話クライマックスのアニスでそれは窺えます)のに、それが成せなかったのが理由じゃないかと。たぶん根岸監督がやりたくなかったんでしょう。
クロノストークショーでもそれっぽいことは漏らしてましたし、根岸監督もインタビューで明かしていたことですが、園田氏が手掛けた脚本回は絵コンテでかなり変えられていたんじゃないでしょうか。重箱の隅レベルですけど、単細胞かと思ったらBパートで好青年の顔になったりと、あれ? と思うことが多いのは大抵園田脚本なので。
園田脚本のリョウのいい話と云えば20話ですが、アニメ誌のあらすじでは「迂闊な言葉でサオリちゃんを期待させてしまい、困ってメモリーを頼った(意訳)」とあり、これも夏目想太郎前提で考えていたエピをそのまま脚本に起こして、演出で変えられた可能性を疑ってしまいます。何と云うか、想太郎はノリの軽いお調子者でリョウでもそこを変えずにいて、絵コンテや演出で想太郎のエッセンスを削られたり抑えられたりで調整されてたんじゃないかと。園田氏的には響リョウは「ロムの下位互換」で、物足りない主人公だったのかも知れませんなあ。
それで済めば分からんこともなかったんですが(夏目想太郎がリョウ以上の主人公になれたとは微塵も思えませんけど)、アニスに入れ込み始めた後の冷遇と、露骨なりょあに否定だけはやっぱりいただけませんなあ。これがなかったらもうちょっと同情できたのに。多分。
【本橋秀之】世界一かっちょいいメット割れからのカウンター。
【根岸弘】
最終回のみ監督が脚本を手掛けられましたが、ブルーレイBOXのインタビューによると、打ち切りが決定し全35話になると決まった時点で申し出られたそうです。本来なら園田氏の予定だったんでしょうね。監督がボーグマンをどういう物語にしたかったのかは、最終回と総集編の31話で明らかにされてます。園田氏との認識のズレが明確になってて興味深いんですが、これは別の機会に。
シンジとの最後の会話で、リョウの教師としての成長が描かれたのですが、リョウの“説得”は会川脚本の29話がベースになっており、監督的にもリョウは会川氏の解釈を是とした主人公だったと思われます。妖魔王との最終決戦を前に、悲壮感を見せずに「さあ行こうか」と笑顔で変身して怯まず最後まで立ち向かう姿を描き切り、主人公としてヒーローとして最高の見せ場を用意していたのが素晴らしいです。シンジだけは許しがたいですけど。
脚本ではないですが、FOREVERの演出で「戦いを離れたらシャイな普通の青年」とリョウを解釈していたことが窺えます。
そういうカンジのリョウ誕でした。もうちょっと練り込みたかったんですがこれが精一杯でした(´・ω・`)もっと回復したら補足したいです。
posted by はらよしかず at 18:18| ボーグマン
2020年09月01日
【お察しの】クロ逆トークショーアーカイブ視聴【範囲】
16話感想をやる気でいたんですが、先日あのシネマノヴェチェントで開催されたクロノスの大逆襲上映会&トークショーの、トーク部分のみの動画が有料配信されたことを知り、迷った挙句に視聴期限ギリギリで手数料込み2830円払って視聴しました。結論から云いますと2830円分の価値はありました。良くも悪くも。この出費のお陰でやっと買えたスイッチライトのソフトの購入選択肢が更に狭まる羽目になりましたけど後悔はない。
また画像ナシネタなので、だいぶ前にスキャンしてPCに取り込んだままにしていたぬーたいぷの記事から。年寄りだけが使い道を知っている綴じ込み付録。何月号のだったっけ…(駄目すぎる)。
以下はトークショーで語られた内容を下にした、剣狼を含めた考察との答え合わせとなりますが「有料」配信の意味を踏まえ、トークの詳細を記すことは控えます。2830円だし。ただボーグマンの時と異なり、ツイッターでイベントの感想を呟くのは(程度はあると思うのですが)OKと動画の最後で明言されていたので、検索して出てきた感想TLを物差しに書いていきます。万が一差し障りがあるようなら記事は削除します。
ゲストはトーク第一部が羽原信義・大張正己・園田英樹氏の3名で作画の話題がメイン、第二部が園田英樹&室賀厚氏の二名で文芸方面の話題が中心。羽原&大張氏のトーク内容に関しては、以前紹介したこの本とかなり被っているので、動画を見逃した方にこちらをおススメします。既にこれを読んでいたお陰で、話の飲み込みがスムーズに行きました。(画像クリックでアマゾンのページに飛びます)
お二人はトークお上手で驚いた次第。特に大張氏はなかなかのイケボそして発音も明瞭と、インタビューの文字起こしが楽そうだと思いました(元ライター目線)。
とにかくも、当時の葦プロが大味かつ上層部が外道だったのは嫌というほど察しました。まあAICも平野監督を過労死させる気だったのかという位こき使ってましたし、だいたい当時のアニメ会社なんてそんなモンだったようで。しかしタツノコのウラシマン班は優遇されていたと、前述の書籍で平野監督が語っておられましたね。その監督は畑に建てられたプレハブ小屋で寝ておられたそうですが。
話がそれましたが、第二部参加の室賀氏も話術が達者で面白かったです。ディオンドラが唐突にツンデレた回の方か…。
話を窺った限りでは、葦プロはアニメーターが死んでも納品が間に合えばすべて良し! と思っていたんだろうかと疑うような無茶振りをしながらも、仕事そのものは現場にぶん投げ…もとい自主性に任せ、あまり口出しをしなかった。クロノスは「いいんじゃない面白ければ」「時間ないしもうそれでレッツラゴー!」といったライブ感で成り立っていった作品であると知りました。2年で劇的に変わる訳ないし、たぶんボーグマンでもそのまんまだったんだろうなと。
なんとなくですが、葦プロと園田氏がその場の勢い任せでエンジョーイアンドエキサイティング! だったのに対して、根岸監督は真面目すぎたのかなあと思いました。だからこそ「メモリー・ジーンという母性に抱かれた都市の物語」が貫かれ、かろうじて地に足の着いた作品になったんでしょうけど。園田氏主導だったら、途中からメモリーが空気になってエスパーサイボーグになったボーグマンたちと妖魔がすっごい戦争はじめたけど風呂敷が畳み切れなくなったよメンゴメンゴ! 続きはアニス主役のOAVで! な素っ頓狂な作品になりかねなかったんじゃないでしょうか。
羽原氏のトークで吉田監督のスタンスが判明したお陰で、ちょっとだけすっきりしました。クロノスの制作に関しては、若手スタッフの育成が念頭にあったのかな。
で、参加者の質問のお陰で、剣狼伝説3でのロム兄さんの「あの」扱いが話題に上がったのですが、ああいうイベントに参加するようなコアなファンの間でもずっと謎だったのかと驚きました。円盤BOX関係のライナーノーツでちょろっとでも吐露してたんじゃないかと思ってたんですが、ずーっと沈黙してて現在に至ってたのか。
【剣狼伝説3】OSTライナーノーツ【寄稿文】
以前アップした剣狼考察ですが、結論から云いますとだいたい合ってました。書きながら的外れであって欲しいと思ってたんですけどね…。いっこ訂正するなら、最後のロム&ガルディとレイナの会話は羽原氏が追加したそうです。園田氏はああいう救済措置(?)は考えてなかった模様。
質問に対する園田氏のリアクション及び返答は、あのトークショーの肝のひとつなのでお察し下さいレベルのことしか書けませんが、憤り以上に、「作り手」と「受け手」の温度差を痛感しました。キャラに対する考え方が根本から違うので、ファンがどれだけ「ロムの死」を嘆いても園田氏にはそれが理解できず、隔靴掻痒にしかならなかったんでしょう。それぐらい斜め真っ逆さまな反応をされたということで。あの場にいた方々一瞬「えっ?」となってましたよねアレ。
割と腑に落ちてしまった理由に、園田氏はヤマト及びガンダムをはじめとする富野作品の洗礼をバッチリ受けた世代で、スタッフが作品の成立のために、登場人物の生殺与奪の権利をばしばし行使していた「当時のアニメ作品事情」があります。富野アニメは云うまでもないし、ヤマトなんて完結編で話題作りのためだけに沖田艦長が復活し、島大介は西崎Pに殺されたことを考えると(どう考えてもストーリー上で島が死ぬ理由はまったくないんですよね)、少なくとも80年代まではまだ「非実在キャラクターの人生」が軽かった時代でしょう。90年代アニメのナディアのフェイトさんのエピソードは、そういった「80年代の空気」を逆手に取った演出だったのかと今思いました。
園田氏にとってロムの死は、「妹であり愛する女性でもあるレイナを守り抜き、すべてを彼女に託してこの世を去っていく」というヒーローの“熱く尊い終焉”であり、それ以外に「剣狼伝説」の幕を引く術はなかった。それ以上でもそれ以下でもない行いであり、なぜファンが自分が決めた“たかが”アニメのキャラの死をそんなに怒り嘆くのかと困惑し、羽原氏にフォローを任せて沈黙したんじゃないでしょうか。
ボーグマンも「メモリーの死」は確かに物議を醸しました。メモリー考察でも書きましたが、メモリーの場合は根岸監督が「それを以て終わらせる」つもりで終盤の物語を構築し直し、彼女自身もレミニスの下に行くことで背負った業から解放されたという描き方をしていた訳で、根岸監督の「覚悟」は伝わるものだったと思います。ある程度の非難は想定済みだったんじゃないかと。
どう見てもレイナたんペロペロしたいお! だけの行き当たりばったりをやった挙句、唐突にレイナを宇宙最強のソルジャーヒロインとして君臨させるために、すべてを「…げる」した剣狼にそういった「覚悟」は果たしてあったんでしょうか。
個人の体感ですけど、無印セーラームーンのクライマックスのセーラー戦士の退場劇辺りから、業界がキャラの生死に関して慎重になっていった気がします。
しかし園田氏が後年「ロムの死」を反省しなかったのかと云えばそうでもなかったようで、ライジンオー“以前”の仕事は「若気の至り」だった旨を述べておられたし(拗らせたファンからエライ目にも遭ったとか)、謝罪らしき言葉もあったので、もう初老のおじちゃん突いても仕方ないんじゃないかな…。というか、クロノスの時はまだ二十代半ばだったそうで(30手前と勘違いしてました)、そんなに若かったのならボーグマンでも夏目想太郎や後半でのアニスへの執心等も、若気の至りで納得できる…かな…(ちょっと無理かも)。
あと、意外なことに(これは書いちゃっても大丈夫だと思うんですが)園田氏はライジンオーまで、子供を意識した作品作りをしてなかったそうです。妖魔の設定などのザルな部分は、「子供には難しいからやらない」ではなく、「主人公が夏目想太郎ではなくなったのでやれない(やりたくない)」だったのかしらね。演出陣に対するわだかまり等、たぶんボーグマンでもそうだったんだろうなと思われる内部事情語りも少しだけありました。やっぱり根岸監督への不満は相当あったんじゃないでしょうかね。
もう何べんも書いてきたことですが、改めて本編の途中で、園田氏からボーグマンを取り上げた根岸監督の判断は正しかったと確信しました。前述の通りキャラの扱いが軽かった上に、あの頃の自分はどうかしてました(意訳)な反省の弁まで飛び出すぐらいにジャイアンメンタルだったのなら、もし根岸監督がアニスを園田氏に譲渡していたらリョウは間違いなく酷い目に遭っていたでしょう。アニスがぼっくんの分身の篠田君(仮名)と素敵な恋をするために死んでくれ、と悪い意味で第二のロム化していたか、そこまででなくとも「園田ヒロイン」としてのアニスを輝かせるための道化にされてたか。とにかくリョウの冷遇は待ったなしだったと断言できます。
トークで垣間見えた当時のレイナへの思い入れから、各雑誌のアニス特集でのアニス語りは、各誌の編集部補正なしのガチだったんだろうなと。アニスはレイナに続くレイナ以上の「セカンド園田ヒロイン」だったはずだし。同時にリョウに対するコメントがぞんざいになっていったのがいただけないんですよ。あれもガチだったと思うとゾっとします。
まあ、園田氏の年齢相応の語りからして、もう自分からレイナやアニスに関わったりしないんじゃないかと思いました。レイナはもう“思い出”なんだなあ…という印象だったし、最近の園田氏の舞台の仕事の傾向からしても、わざわざ二次元のヒロインを掘り起こす理由が見当たらない。ねぎし氏のラムネ再起動ぐらいの愛着とエネルギーと業界での地位がないと無理でしょう。葦プロがサンライズ並にやる気を出してお膳立てを整えれば話は別でしょうけど、絶対ないね!(涙)
長文となりましたが、喉に刺さってなかなか取れなかった魚の小骨が取れた気分にはなりました。ありがとう2830円(←
次回こそ普通にボーグマンネタで更新したいです。
posted by はらよしかず at 18:00| その他アニメ